がんは、日本人の二人にひとりが生涯一度は罹患する非常に身近な病気です。病理医の私は、日々、多くの患者さんのがんの病理診断を担当しているため、「自分が病気でないことが不思議なくらい」と思うことも少なくないのですが、その一方で、がんという病気を身近に感じているかというと、どこか他人事のような感覚もあり、がんの患者さんがいったいどのように自分の病気と向き合っているか、知る機会はそう多くはありません。父が急性骨髄性白血病となり、その病理診断を担当した経験はありますし、父の闘病を医師側、そして患者家族側として見てきたものの、自分自身ががんになったらいったいどんな感情が押し寄せるのか、想像することは難しいなと思います。
筑摩書房から発刊されたばかりの本書は、ぜひともすべてのひとに読んでいただきたい、超おススメのがんに関するドキュメンタリーです。四十代半ばでメラノーマ(ほくろのがん)になり、その後再発し、ステージ4の末期がんと診断された著者が、自ら、そして家族や友人のがんにかかわる体験を綴っています。
本書は、最新のがん知識を学べる入門書であり、がん患者と周りで支える人々の気持ちをつぶさに観察、記録した現代版・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』であり、前向きな著者に読者の方が励まされる“明るいがん体験記”でもあります。
◆驚くべし、がんの免疫療法
がん知識を学べる入門書としての側面からお話すると、かなり過激なタイトルがついている本書には、副題として「愛と科学と免疫療法でがんに立ち向かう」とあります。免疫療法とは、免疫チェックポイント阻害薬といわれる新しい抗がん剤を用いたがんの治療法のことですが、がん細胞のまわりに集まってきているリンパ球の「攻撃力」を高めて、がん細胞を患者さん自身の免疫の力によって攻撃する画期的な方法です。
一時まで、免疫療法はインチキであるというような懐疑的な意見があったのですが、ある免疫チェックポイント阻害薬がこれまで治療が難しいとされていたメラノーマの患者さんの一部に劇的に効くことがわかり、専門家の認識も大きく変わりました。2011年にFDA(米国食品医薬品局)が抗CTLA-4抗体剤(イピリミマブ)というお薬を、進行したメラノーマの患者さんに使用することを承認し、それを皮切りに、現在では、日本においても8種類ほどの免疫チェックポイント阻害薬がメラノーマ以外にも様々ながんの治療に適用されています。
本書の著者、メリー・エリザベス・ウイリアムズさんは、このイピリミマブと、本庶佑先生が発見したチェックポイント分子 PD-1を標的とした薬剤、抗PD-1抗体(ニボルマブ)のふたつのお薬を併用する臨床試験に参加し、がんが消失し(これを医学用語では「完全奏功」といいます)、10年以上経った現在も元気に暮らされているのです。
なお、ニボルマブは、商品名「オプシーボ」として、日本でも肺がんのステージ4の患者さんをはじめ、メラノーマ以外のがんにも適用され、多くの患者さんがその恩恵を受けています。本庶佑先生はその功績でノーベル医学・生理学賞を受賞しましたが、まさに、免疫療法は、がん治療を劇的に変えた治療法なのです。
◆人生最悪のギフト
そんなウイリアムズさんは、がんが治ったことに「罪悪感を感じる」といいます。本書の過激なタイトルは、メラノーマになったという知らせを受けた親友が、彼女を励ますために送ってきたTシャツに書かれたメッセージをそのまま使ったもので、その親友も時を同じくして、卵巣がんにかかってしまいます。治療が驚くほど効きウイリアムズさんは元気に暮らしている一方で、親友は何度も再発を繰り返し、ついには亡くなってしまいます。自らもがん闘病中の中で、なぜこの自分ががんになったのか、なぜ私なのかと怒り、死ぬことへの恐怖に直面し、幼いお子さんたちの精神的な衝撃を心配し、友人関係が変化していくことを悲しみ、自らだけが科学の恩恵を偶然にも享受していることに罪悪感を感じる。たくさんの感情に向き合いながら、ウイリアムズさんが日々希望を捨てずに生きていく姿勢は、ただひたすら胸を打たれます。
その感動は、おそらく著者のウイリアムズさん本人の文章力と、訳の素晴らしさから来ていると思います。臨床治験をはじめ、かなり専門的な内容から、がんに罹患した本人とその家族の気持ちの揺れ動きまで、絶妙なバランス感覚で非常に緻密に、かつわかりやすく描かれており、読者をぐいぐい引き込みます。訳者の片瀬ケイさん自身ががんの闘病経験者であることも大きかったのではないかと思います。
医療監修をされた埼玉医科大学国際医療センター教授の中村泰大先生と片瀬さんのあとがきも充実しており、構成的にも内容的にも申し分ない本書。絶対読むべき本として推しまくります!
メリー・エリザベス・ウイリアムズ[著] 片瀬ケイ[訳] 中村泰大[医療監修]『ファック・キャンサー 愛と科学と免疫療法でがんに立ち向かう』筑摩書房
投稿者プロフィール
- 趣味は読み書き全般、特技はノートづくりと図解。一応、元バレリーナでおしゃべり(おえかき)病理医。モットーはちゃっかり・ついで・おせっかい。エンジニアの夫、医大生の息子、高校生の娘、超天然の母(じゅんちゃん)、そしてまるちゃん(三歳♂・ビション・フリーゼ)の5人+1匹暮らし。
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