ミカタの東洋医学
ミカタの東洋医学 COLUMN
2025.02.27
2025.02.27
西洋より早かった!日本の麻酔手術
SHARE

手術の時に使う「全身麻酔」って知っていますよね? 前回のコラムでは、エーテル麻酔が1846年にアメリカで初めて使われたという話をしました。でも実は…その42年も前に、日本人医師がすでに全身麻酔での手術に成功していたんです!その先駆者が、和歌山県出身の医師・華岡青洲(はなおかせいしゅう)。今回は、わたしとちょこっとばかし御縁のある江戸時代のお医者さんのお話をしていきましょう。

◆「東洋×西洋」のいいとこ取り!

江戸時代後期、医学には大きく分けて二つの流れがありました。日本と中国の伝統的な東洋医学(和漢医学)と、オランダから入ってきた新しい西洋医学(蘭方)です。当時、多くの医師たちは、いずれかの流派に属していましたが、実は和漢医学と蘭方を組み合わせる「和漢蘭折衷」という考え方も広まりつつありました。青洲もその一人。「病気を治すのに、東も西もないでしょ!」と考えた彼は、和漢医学の知識を基礎としながら、蘭方の外科手術の技術も積極的に取り入れていったのです。特に、中国の古い医書に記された麻酔の知識と、蘭方から学んだ外科手術の技術を組み合わせることで、世界初の全身麻酔手術という偉業を成し遂げました。

◆命がけの麻酔薬開発 ─ 妻と母の勇気ある協力

麻酔薬「麻沸散(まふつさん)」の開発は、超危険な挑戦でした。最初の人体実験、なんと青洲の妻・加恵さんが志願したんです!「この薬が完成すれば、たくさんの命が救えるはず」─そう信じた加恵さんは、意識不明になるほどの危険な状態になりながらも実験に協力。青洲のお母さん・於継(おつぎ)さんも実験に参加して、二人の女性の勇気が新しい医療の扉を開いたのです。

この物語は、1966年に有吉佐和子さんの小説『華岡青洲の妻』として出版され、多くの人々の心を打ちました。小説では、医学の発展のために命をかけた加恵さんの愛と覚悟、そして青洲の研究を支えた家族の絆が、深い洞察力で描かれています。実際の加恵さんも、夫の偉業を支えるため、自らの命を危険にさらしてまで実験に参加したという記録が残されています。

◆世界初の全身麻酔手術と春林軒の伝統

そして1804年、ついに青洲は麻沸散を使った世界初の乳がん手術に成功します。この革新的な手術法の評判は瞬く間に広がり、全国からお医者さんが青洲の医塾「春林軒(しゅんりんけん)」に集まってきました。なんと生徒の総数は2063人!ただし、麻酔薬の作り方は「門外不出」の秘伝。これは単なる秘密主義じゃなくて、危険な薬だからこそ、しっかり学んだ人にだけ伝えたかったからなのです。

◆現代医療にも生きる青洲の精神

青洲が目指した「東洋と西洋、いいとこ取りの医療」は、今でも理想です。例えば、現代の医療現場では、最新の医療機器による診断や手術後の回復に漢方薬を取り入れたり。これは、まさに青洲が考えた「良いものを活かす」という考え方が形になったものです。彼の「患者さんのために、できることは何でもやろう!」という精神は、220年経った今でも、私たちの医療の道しるべです。

青洲の功績は、世界で初めて全身麻酔手術を成功させ、春林軒では2000人以上の弟子を育てて日本の医療レベルを大きく向上させたことです。そして何より、その偉業の陰には、命をかけて協力した妻や母の深い愛情があったことを、私たちは忘れてはいけません。私も同じ華岡の姓を持つ医師として、青洲の「ミカタ」を活かしながら患者さんに寄り添う医療を、これからも実践していきたいと思います。

参考URL:

治験図巻 文化遺産オンライン

◆「ミカタの東洋医学」バックナンバーはこちらから↓

ミカタの東洋医学 | MEdit Lab

投稿者プロフィール

華岡 晃生
華岡 晃生
生まれも育ちも石川県。地域医療に情熱を燃やす若き総合診療医。中国医学にも詳しく、趣味は神社巡りとマルチな好奇心が原動力。東西を結ぶ“エディットドクター”になるべく、編集工学者、松岡正剛氏に師事(髭はまだ早いぞと松岡さんに諭されている)。