先日、順天堂大学練馬病院の区民健康医学講座で、病理医の仕事とがんをテーマに講演をさせていただきました。これまで小・中・高校でがんの授業をたくさん行ってきたのですが、おとなの方向けにお話するのは初めてで、とても緊張しました。
そして、いちばん驚いたのは、開場の時間になると前列からどんどん席が埋まっていく様子でした。だいたい中高生や医学生の授業では早く来た人ほど後ろに座ることが多く、ぎりぎりまで前列が埋まらないことが多いのですが、おとなのみなさんが我先にと一番前の席に座り、持参のノートを開いて開講時間を待っておられるのです。講演中もメモを取られ、終わった後は、実に素晴らしい質問をたくさん寄せてくださり、その熱心な様子と本質をつくような鋭い質問の数々に胸を打たれました。
中高生向けに医学のお話をするだけでなく、医学を改めて勉強したいというおとなの方々にもMEdit Labは何かお手伝いができるかもしれない、そう感じました。来年度は何かおとな向けの医学イベントをやろう!と密かに決意したおしゃべり病理医です。
◆癌と肉腫の違い
さて、講演でお話できなかったことが、「がん」と「癌」の違いについて。どちらも同じ読み方で、聞き分けることができないため、用語の使い分けという意味では不適当です。よって、明確に使い分けないといけない、という決まりはありません。ただ、一般の方向けに書かれた文章では「がん」というひらがな表記が多く用いられ、「悪性腫瘍」の意味で使われています。「癌」という漢字が当用漢字ではないというのが大きな理由ですが、「悪性腫瘍」というより「がん」と表現した方が伝わりやすいということもあるのかもしれません。
一方、医学分野、とりわけ、私の専門である病理学の領域では、「がん」とひらがなで表記されることはなく、「癌」という漢字表記の言葉は、厳密な定義づけがされており、「肉腫」という別の悪性腫瘍と明確に使い分けられています。
癌は、病理学的には「上皮性の悪性腫瘍」と定義されています。「上皮」というのは、外界と接している細胞のことをいいます。いちばんわかりやすいのは私たちの身体を覆っている皮膚の表面の細胞(表皮)が上皮になりますが、それだけではありません。食べ物の通り道の消化管の粘膜や尿の通り道の尿道や膀胱(もっと先までいうと尿管や腎臓)、女性でいえば、子宮の内側を覆っている粘膜も外界と接していますからすべて上皮になります。この上皮細胞が悪性腫瘍になった場合、「癌」と呼ぶのです。
一方、肉腫は「上皮ではない細胞から発生した悪性腫瘍」です。上皮でない細胞は、例えば、骨や筋肉や脂肪や血管、あるいは血管の中を流れる血液の細胞たちが代表例です。この部分が悪性腫瘍になると、「骨肉腫」とか「脂肪肉腫」とか「血管肉腫」と呼ばれ、「骨癌」などとは呼ばれません。また、血液の細胞たちだけは特殊で、白血病やリンパ腫といった独自の名前がついています(他にも脳腫瘍は、「膠腫(こうしゅ)」という独特の名前がついていたりしますが、ややこしくなるのでこのあたりで…)。
◆癌、肉腫、cancer-名前の由来
ところで、「癌」という漢字はなかなかに難しいですが、なんとなくいかつくて、ゴツゴツした感じがしませんか?語源をたどると「岩」の意味を持っており、昔の人は、癌が硬いことから「岩」と呼んだりしていました。一方、「肉腫」は、肉のかたまりのようなもう少し軟らかいイメージがあったようで(実際には、骨肉腫などはとても硬いのですが…)、瘤(こぶ)とも呼ばれていたのだとか。
では、英語はどうでしょう?「cancer」のもともとの意味は、「カニ」。がんによって増えた異常な血管がカニの足に見えることからそう名づけられたのだとか! いやはや、お国によってイメージは異なるものですね。
◆参考文献・サイト◆
がんの基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] (ganjoho.jp)
西嶋佑太郎『医学用語の考え方,使い方』中外医学社
小倉加奈子『おしゃべりながんの図鑑』CCCメディアハウス
投稿者プロフィール
- 趣味は読み書き全般、特技はノートづくりと図解。一応、元バレリーナでおしゃべり(おえかき)病理医。モットーはちゃっかり・ついで・おせっかい。エンジニアの夫、医大生の息子、高校生の娘、超天然の母(じゅんちゃん)、そしてまるちゃん(三歳♂・ビション・フリーゼ)の5人+1匹暮らし。
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