MEdit Lab歴史年表の中身についてもう少し説明しておきましょう。
MEdit Labは、昨年11月に、「順天堂大学STEAM教育研究会」として発足したばかりですが、そのおおもとをたどると順天堂とアメリカのSTEM教育のふたつの歴史が見えてきます(サイトのMEdit歴史年表はこちらから!)。
順天堂は、前回のコラムでもお話したように日本最古の西洋医学塾として1838年に江戸の薬研堀(やげんぼり)に誕生しました。その20年後にウィルヒョウという病理の先生が細胞病理学を発表したり、生物の教科書でお馴染みのメンデル先生が遺伝学を提唱したりしています。その前から順天堂が日本に存在していたなんて、順天堂メンバーとしてとっても誇らしくなります。
ちなみにウィルヒョウの細胞病理学というのは、「病気は細胞ひとつひとつの形態や機能の異常から起こる」という考え方で、西洋医学をぐいーんと加速するものでした。人体が小さな細胞の集合体であることは今や常識ですし(生物の教科書には60兆個と説明されていますが、割と最近の研究で37兆個くらいなんじゃないか?という説も出てきました)、細胞単位、いや、もっと細かいその細胞の設計図である遺伝子のレベルで病気の原因が研究されるようになりましたが、その基本となる考え方を提唱したのがウィルヒョウ先生なんですね。
さて、一方のSTEM教育ですが、順天堂や医学の歴史からずっと時代が下がりますが、ある事件が発端となって急速にアメリカで発展しました。どんな事件でしょう? はーい。MEdit Lab年表をじっくり見た方はわかりましたね。1957年の旧ソ連による「スプートニク1号」の打ち上げです。後に「スプートニク・ショック」と言われました。
なぜ、ソ連のロケット打ち上げがアメリカのSTEM教育のきっかけになったのでしょう。「宇宙を制するものは地球を制する」。東西冷戦下にあって、「世界の王者は俺だぜ!」と、ソ連と張り合っていたアメリカにとって、ソ連が宇宙開発を大きくリードすることの象徴のようにロケットの打ち上げに成功したことは、大・大・大ショックだったんですね。やばい、やばい。このままではソ連に大きく後れをとってしまう~!
というわけで、国民の科学的な教養を底上げしていなければいけないと科学教育に熱が入ったのです。そこからのアメリカの教育改革は、なかなかすごい。その流れは、ぜひMEdit Lab年表で確認してみてくださいね!
投稿者プロフィール
- 趣味は読み書き全般、特技はノートづくりと図解。一応、元バレリーナでおしゃべり(おえかき)病理医。モットーはちゃっかり・ついで・おせっかい。エンジニアの夫、医大生の息子、高校生の娘、超天然の母(じゅんちゃん)、そしてまるちゃん(三歳♂・ビション・フリーゼ)の5人+1匹暮らし。
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