うしろめたいなと思った経験、みなさんにもあると思いますが、いかがでしょうか。そして、残念や後悔や無念さを含む、ネガティブな記憶として、もやもやと心の奥によどんでいるかもしれません。
◆“何もできなかった”という気持ちは大事
そんなうしろめたい気持ちをどんなふうに解消したらいいのか? そんな質問に答えて下さる先生がおられました。2023年9月22日に順天堂大学 本郷・お茶の水キャンパスで開催された佐久長聖高校向けの高大連携イベント。MEdit授業は、これまでにも行ってきた「医学×歴史」のテーマを扱ったのですが、その手前に、順天堂大学 総合診療科の主任教授、内藤俊夫先生の講義がありまして、それがまさに、うしろめたさを感じることこそが、何かを成し遂げるための大事なきっかけになるのだ、というお話だったのです。
▲緊張する生徒さんを前に優しく語り掛けるように講義を始める内藤俊夫先生
内藤先生は、災害医療にも詳しい感染症のエキスパート。 COVID-19パンデミックが起きてからは順天堂医院の感染対策チームのトップを担い、感染症治療の第一線で活躍され、現在に至ります。アンチワクチン派が世界の中で群を抜いている日本において、積極的なワクチンの啓蒙活動もされ、ヘルスリテラシーの向上にも大きく貢献されています。
そんな内藤先生もうしろめたい経験があったとのこと。内藤先生は、3.11 東日本大震災の際、10日後には被災地の気仙沼に出向き、避難所となった1000人近くの人が身を寄せる体育館において、健康管理はもとより避難所の運営にも尽力されています。しかし、当然、東京には先生を待っている他の仕事があります。数週間後に東京に戻って仕事をしている中、「あの人たちを見捨ててきてしまった。俺、ここで何をしているんだ?」とうしろめたさで心がいっぱいになったといいます。「何かできないか?きっとできることがあるはずだ」。心の中に充満した“うしろめたさ”。そして内藤先生は、思い切った行動に出ます。
▲統計学的なデータと実際の体験を交えての内藤先生の講義は、ウイリアム・オスラー先生がおっしゃった “Medicine is an art based on science.” を彷彿とさせます
先生がそのあと成し遂げられたことは、被災者への肺炎球菌ワクチンの無償提供。東京からワクチンを製造している海外の製薬会社の社長に直談判し、ワクチンを無料でゆずっていただくことに成功します。そのあとも、運搬の問題など様々な解決すべき困難な問題があったようですが、数か月後には被災地のみなさんへ肺炎球菌ワクチンが届き、肺炎になる方が激減したのです。
この功績は、この時だけにとどまりませんでした。以下のグラフを見てください。肺炎球菌ワクチンの接種率の全国図になりますが、岩手・宮城・福島の3県が群を抜いた接種率であり、これは、3.11の時のワクチン接種の恩恵を多くの県民が理解しているという証です。先生がワクチンを啓蒙する原動力となるデータです。
▲内藤教授からいただいたパワーポイントの資料より転載
内藤先生はいいます。
「“何もできなかった”という気持ちはとても大事です。そこからがスタートです」「いつでもリーダーになる準備ができていないといけません。どんな知識も無駄になりません。何事も自分には関係ないと思ったらもったいない。本を読み、歴史を学んでください。様々な人とコミュニケーションが取れるように教養を身につけてください」
▲内藤先生の話にぐいぐいと引き込まれていく佐久長聖の生徒さん。熱心にメモを取る姿も見られ、講義の終わりでは積極的に質問をする生徒さんもいました
◆『うしろめたさの人類学』
佐久長聖のみなさんと一緒に内藤先生の講演を聴きながら思い出したのは、松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』という本でした。松村さんは、何度もエチオピアに出向き、農村で暮らしながらフィールドワークを続けている文化人類学者ですが、「うしろめたさ」が人々の格差を埋め、倫理性を取り戻すための感情であると語ります。
人の痛みを見ないようにし、目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに、自分の中に突如湧いてきたうしろめたい感情で気づかされる。医学とその実践である医療においても必須の感情であり、多くの人を救う社会活動も、個人的でネガティブな想いが原動力になることもあるのですね。