医学に効くほん!
医学に効くほん! COLUMN
2023.02.13
2023.02.13
目で聞いて耳で見る鑑賞法『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』
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全盲の美術鑑賞者、白鳥健二さんとの美術館巡りの日々を綴った本書は、2022年のノンフィクション本大賞を受賞。肩肘を張らずに読めるユーモアな語り口と、時折カラーページで美術作品も掲載されていることもあって、読者はリラックスしながら登場人物とともに美術鑑賞しているような気分になれる本です。

視覚障害者に対してこうあるべきであるという“べき論”は本書では一切語られておらず、著者の川内有緒さんが白鳥さんとともに美術作品を鑑賞する中で発見した様々なことを読者と共有してくれています。どちらかというと、本書の中でおどおどしているのは川内さんの方で、白鳥さんは、実に堂々としています。

鑑賞の方法としては、晴眼者が白鳥さんに目の前の作品について言葉を使って説明していくのですが、その過程の中で、私たちが普段、いかに「見ていないか」ということに気づかされるのだとか。川内さんは、その体験をこう綴っています。

“まるでお互いの体がお互いの補助装置みたいだと思った。わたしは作品について話しながら、安全に歩かせるための装置。白鳥さんはわたしの目の解像度を上げ、作品との関係を深めてくれる装置。”

全盲の白鳥さんの「美術作品を見たい!」という希望に、最初に真剣に対応されたのは、水戸美術館の森山さんという方。森山さんは、白鳥さんが自然に行っていた鑑賞法が、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が提唱する対話型鑑賞のメソッドに非常に似ていることに驚いたといいます。

専門家の解説に頼らずに作品の簡単な描写の積み重ねから鑑賞に入っていくことで、参加者による解釈や意見を無理にまとめようとせず、矛盾があるものもシェアしていく鑑賞スタイルです。

これって、私は病理診断の姿勢に似ているなと思いました。病理診断は、患者さんの細胞や組織を実際に肉眼で、そして最終的には顕微鏡で観察して診断をくだすもので、病気の最終診断といわれています。基本的に、臨床医の先生が「がんの疑いがある場所から、組織を採取しました」というように、疑っている診断名をあげながら、病理検査を依頼します。

私たちは、ある程度、臨床医の先生の見立てを考慮しながら病理診断をするのですが、その時に気をつけることは、その臨床医の先生の診断に引っ張られ過ぎないこと。なるべくフラットな立場で、病変をつぶさに観察してそれを病理学用語に置き換えて説明していきながら診断をなるべく先延ばしにする姿勢です。

性急な病理診断は、病変を十分に観察していないことにもなり、思いがけない誤診につながります。あらゆる可能性をなるべく最後まで抱えたまま、鑑賞するアート的な視点が病理診断にも必要だなぁと思っています。

もうひとつ私が本書を読んで、はっとさせられたことは、「視覚障碍者を“目が見えないひと”という大きなカテゴリーで雑にまとめてしまっている」という川内さんの指摘です。

視覚障害といっても、先天的に見えないひとと、ある程度成長したあとに失明をしたひとでは、まったく違う経験を重ねているので、脳内にストックされた情報量や内容、ものに対して持っているイメージが全く異なるということです。

見えるひとは、見えない人が見ているものを想像することができない。

当たり前のことですが、そうだなと思いました。それって視覚障害者の方に対してではなく、何に対しても同じだなと思います。

COVID-19やウクライナの戦争で亡くなっている人も、ニュースでぼんやり「何名の死者」という大きなカテゴリーで見過ぎてやしないか。それぞれに家族や人生があって、それぞれの物語を突如終わらせざるを得なかった人々。

解像度を上げて対象を観察する、想像する、ということの重要性をじんわりと教えてくれる良書です。

投稿者プロフィール

小倉 加奈子
小倉 加奈子
趣味は読み書き全般、特技はノートづくりと図解。一応、元バレリーナでおしゃべり(おえかき)病理医。モットーはちゃっかり・ついで・おせっかい。エンジニアの夫、医大生の息子、高校生の娘、超天然の母(じゅんちゃん)、そしてまるちゃん(三歳♂・ビション・フリーゼ)の5人+1匹暮らし。