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COLUMN
2026.04.20
2026.04.20
#003【ゆるメディ】ずっと気になる人・伊藤亜沙さん 『体の居場所をつくる』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
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MEditLabのポッドキャスト番組「てゆーか医学」の第3回放送は、前回に引き続き「ゆるっとMEdit」、通称「ゆるメディ」をお届けします。ゆるメディは、本や映画、最近の出来事などを小倉加奈子(おしゃべり病理医)とQUIM(編集者)がゆるゆる雑談するコーナーです。

今回は、小倉とQUIMが「ずっと気になっている人」、美学者・伊藤亜紗を取り上げます。
伊藤さんのご著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『体の居場所をつくる』を手がかりに、「身体」とは何かをあらためて考えます。

おしゃべりの内容は、
・10年前かずっと「気になる人」  伊藤亜沙さん
・美学と医学の共通点 サイエンスでは語れない体のこと
・目の見えない人は世界をどう見ているのか
・体の居場所をつくる 私はDV夫、体は妻?
・医学の本質はアートである by ウィリアム・オスラー
・AI時代に再注目される「暗黙知」
などなど。

科学では語りきれない「身体」や「感覚」を考え巡らせながら、今回もごゆるりとお楽しみください。

その他配信先
・Apple Podcasts:https://x.gd/LUfXT
・Amazon Music:https://x.gd/IArL6

・YouTube:https://youtu.be/LugicabIrXs

▼チャプター
・10年前からずっと「気になる人」  伊藤亜沙さん
・美学と医学の共通点 サイエンスでは語れない体のこと
・目の見えない人は世界をどう見ているのか
・体の居場所をつくる 私はDV夫、体は妻?
・医学の本質はアートである by ウィリアム・オスラー
・AI時代に再注目される「暗黙知」

▼全文公開

●10年前かずっと「気になる人」  伊藤亜沙さん
QUIM:
それでは、「ゆるっとMEdit(ゆるメディ)」第2回ということで。
あらためてゆるメディの説明をちょっとすると、小倉さんと僕が毎回交代で、本や映画とか、あと小倉さんの身の回りで、小倉さんと僕の身の回りで起きたこととか、MEdit Labのお話をするっていうコーナーですね。
前回、僕の方でお話をしたので、(#002【ゆるメディ】月刊「たくさんのふしぎ」がすごい! 春をよろこぶ、みんなで踊ろう!)今回は小倉さんにお願いしたいと思います。

#002【ゆるメディ】月刊「たくさんのふしぎ」がすごい! 春をよろこぶ、みんなで踊ろう!

小倉:
はい。私はMEdit Lab「医学に効く本」という連載をずっとやっていて。もうたぶん、これが公開される頃には50回目の「医学に効く本」が出てると思います。
今まで50冊近く、いろんな方の本を取り上げてきて。医学っぽい本、あんまり医学ど直球っていうよりも、どんな本でも医学と絡めて考えられるっていうか、見ることができるよねっていう感じで、いろんなジャンルの本を紹介してきたんですけど。
ずっと最初期から取り上げたいと思いつつ、どの本を取り上げていいかわからないまま、取り上げてない方の本がありまして。せっかくなんで今日はそれを紹介したいと思ってます。

QUIM:
お願いします。

小倉:
それはですね、伊藤亜紗さんですね。きっとファンも多いのではと思うんですけれども。最近、伊藤亜紗さんが『体の居場所をつくる』(朝日出版社)という本も朝日出版社から上梓されていて。

QUIM
話題になってますよね。

小倉:
はい。今年の2月25日に発売になっている本なんですけれども。
伊藤亜紗さんはですね、でも実は、私がこの伊藤亜紗さんのことを知ったのはもうたぶん10年ぐらい前で。この本も名著なんで読んでる方も多いと思うんですけれども、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)っていう本が、たぶんこれですごい有名になったのではと思ってるんですけれども、これが2015年の3月だから、10年ぐらい前ですね。

QUIM:
確か、たぶん10年ぐらい前に伊藤亜紗さんの名前を聞いてから、僕もずっと気になり続けています。

●美学と医学の共通点 サイエンスでは語れないこと
小倉:
私は結構、伊藤亜紗さんの新しい本が出るたびに大体買って読んでいるのですが、どういう方かちょっとご紹介すると、1979年生まれで、私と本当に年齢が近くて。
東京科学大学のリベラルアーツ研究教育院の教授でいらっしゃいます。私たちがゲーム作りでお世話になっている……。

QUIM:
ゲームデザイナー・作家の山本貴光さん。

【いったい何者?】文筆家・ゲーム作家の山本貴光先生がわかるMEdit Lab記事3選

 

小倉:
そう、山本貴光さんも同じところの教授でいらっしゃって、たぶん同僚なんだと思うんですけれども。伊藤さんは専門が美学。私は、実は医学部入る前にちょっとだけ入った女子大に、文学部の美学美術史学科っていう学科があったんですよ。
で、思わず「美学」って聞いたときに、美学、アート、みたいな感じで、なんか発想がそこで止まっちゃって。美学を専門にしている人が、なぜこの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』って本を書くのかな、みたいな感じで、ちょっとよくわからなかったんですけれども。
伊藤亜紗さんが、美学についてはですね、この最初の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の方で説明をしてくださっていて。
美学っていうのは、芸術や感性的な認識について哲学的に探求する学問。ちょっと難しいんだけれども、もっと平たく言うと、言葉にしにくいものを言葉で解明していこうという学問なんですって。
言い難いものみたいなものを、あえて研究対象にするっていう。なかなか難しい。だから、なんかフィーリングみたいなものを学問にしているっていうことで。なんか文系のような理系のようなっていうところなんですよね。
なんていうのかな、「体でわかる」みたいな感じっていうふうに、伊藤さんは言い換えたりもしていて。
一貫して、今までどんな著書が出てるかっていうと、その最初の名著である『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を皮切りに、『どもる体 シリーズ ケアをひらく』(医学書院)『記憶する体』(春秋社)『手の倫理』(講談社)『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー✕身体〉』(文藝春秋)みたいな感じで、とにかく「体」っていうのをすごい専門にしておられる美学者なのです。なので、すごい医学に近いなって思っているんです、私的には。

QUIM:
やっぱり「体」をテーマにしてる。

小倉:
ただ、アプローチが、今、医学の研究が忘れちゃってるっていうか、ある種ちょっとないがしろにしているであろうことを伊藤さんがすくい上げているなっていう感じが、医学側にいる私からすると、すごくそこが頼もしいっていう感じがするんですよ。
っていうのも、医学って今、すごいサイエンス的に発展してきてるじゃない。だからいろんな疾患が遺伝子レベルで解明されて、その遺伝子がわかるから、それを治療するためにはどういう分子を対象にすればいいか、みたいな。そういう、いわゆる分子生物学とかって言われてるけれども、そういったアプローチで薬を作って治療していこうっていう戦略がものすごく主流なんだよね。
あとはやっぱり、がんの治療薬とか作る上では、患者さん一人ひとりじゃなくて、もう何千人とか何万人とか、すごい数なんだから。一人ひとり、顔は違う人なのに、体も何もかも違うのに、それをなんか数として……。

QUIM:
たくさんのデータ。

小倉:
うん、まさにデータサイエンスです。まさに。順天堂も健康データサイエンス学部ができましたし、なんか本当にそれが主流なんだろうね。

QUIM:
それも大事なところではあるんだけど、小倉さんの言っていること、すごいわかる。例えばさ、病院とか行ってさ、「なんか調子悪いんですよね」みたいなこと言ってもさ、お医者さんとしてはそれを助けたいっていうのはあるけど、なんかそれを一つの症状にして、それで薬を渡すってことになるじゃない。

小倉:
そうだよね。

QUIM:
でもそうじゃない、その「なんかここが……」みたいなところを、もうちょっとちゃんと言葉にしていくみたいな。それが足りないってことだよね。

小倉:
まさに伊藤さんがやってるのは、「言いづらい」とか「表現しづらい」ものを対象にしてるのが美学ですって言ってたけど、それをある意味無視しないとサイエンスは進歩できないから、医学は今そっちに行き過ぎているんだよね。
でも、私はやっぱり診療していて、診断って割とすごくパーソナルっていうか、なんていうのかな、個別具体的なことだなって思うんです。それが研究になると、すごく没個性的になるし、そうならざるを得なくて。

QUIM:
そういうものだからね。

小倉:
だけど、日々の診療においては、すごく個別具体的なものを対象にしてるって思ったときに、伊藤さんのその世界観っていうか、ものの見方っていうのと、自分の診療っていうのが結構地続きな感じがするんですよね。
だからもちろん、四六時中、私たちはサイエンス的な最新の知識を頭に入れなさいっていうことをずっと求められるっていうか、医療の大学病院だから、最先端にいる限りはいろんな最新情報にキャッチアップしていかなきゃいけないっていうのはあるし、それは最低限、仕事だから必要であろうと思うんだけれども。
でも、本当に大事なところはそこじゃなくて、個別具体的なその一人に、一人ひとりの患者さんに、どういうふうなアプローチができるかっていうところが、最終的には求められるっていうか、一番大事なところなんだろうなと思うし。
この今、AIとか入ってきて、いろんなことが高速で自動化されている中で、最終的に残るのはいわゆるフィーリングっていうか、感性のところだろうと思うと、やっぱり伊藤さんがどういうふうに体について研究を深めてるかっていうのは、私にとってすごい関心があるところなんですよね。

QUIM:
なるほど。あと、捉え方っていうか、例えばその『目の見えない人は世界をどう見ているのか』っていうのもさ、目が見えないってなるとさ、何か一つの、なんていうか、症状になるじゃない。

小倉:
そうそう。

QUIM:
だけど、それが障害かどうか、良いとか悪いとか抜きにして、どういう世界を見てるんだろう、みたいな見方をする。『どもる体』とかもそうかもしれないけど、そういうアプローチが、ちょっと医学ではなかなか難しいかもしれないよね。

小倉:
難しい。本当に、そこは捨てられちゃってる部分を、伊藤さんが丁寧に拾い上げてる感じがあるんです。

●目の見えない人は世界をどう見ているのか
小倉:
この『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は、特にドクターになりたい方は読むべき本ではないかと思うんだけど、最初の方にいろんな目が見えない人が出てくるんですよ。その人と話したり、知っているエピソードがベースになってお話が展開していくんだけど。
最初、すごいと思ったのは、東京科学大学って大岡山にキャンパスがあるじゃないですか。そこに目の見えない方と駅で待ち合わせして、大学の伊藤さんの研究室に向かって歩き始めるっていうエピソードがあるんだけど、そこで木下さんっていう視覚障害者の方が、「大岡山はやっぱり山で、今その斜面を下りてるんですね」って言うんだって。
伊藤さんは毎日そこを通勤で歩いてるんだけど、そんなふうに山を上ったり下りたりしてるなんていうふうに思ってなかった、と。単なる坂道を上がったり下がったりしてると思ってたけど、やっぱり大岡山って駅の名前に「山」がついてるから、「やっぱり山になってるんですね」って。
だから、目の見えない人って、めちゃくちゃ空間を立体視してるんだってわかる。目が見えてると二次元っていうか、視野が前方方向でしか物を見てないんだけど、目が見えないから、ちょっと例えば上空から見てる感じというか。
「目の見えない人には死角がありません」って書いてある。確かに、見えないから。なんていうのかな、視野が逆に広がってるんだ、みたいな話をしてて。その辺から、すごいこの本は引き込まれるんだよね。目が見えることに、いかに私たちが偏って物事を見てるか、とか。
要するに、本当に違った視点、視覚障害者としての視点っていうのが多分あって、そんなこと思いもよらないじゃない。普通、目が見えないと「かわいそうだね」で終わりがちじゃない。だけど、それ以外の身体でどうやって世界を見ているか。例えば足裏で見るとか、その音で見るとか、そういうこともしてる。あと、その風の肌触りとか、そういうふうに多分見ている

QUIM:
むしろ感覚が豊かっていうか。

小倉:
っていうことがすごいいろいろ書いてあって。だからなんて言うのかな、医療従事者になると、どうしても「健常者 vs 患者」みたいになりがちで、一方的に「あれこれができない」って、患者さんのことを思いすぎたりとか。

QUIM:
なるほど。一般化しちゃってんだよね。

小倉:
視野が固定されがちなんだけれども、こういう本に触れることで、違った視点を持つってことは、やっぱり医療従事者としては重要かなっていうふうにすごい思って。
でもすごい、あとね、とにかく伊藤さん、文章うまいんだよね。なんかすごい読むストレスがないままいけるって、どの本を見ても思うんだけど。

●体の居場所をつくる 私はDV夫、体は妻? 体が逆襲?
小倉:
今回の『体の居場所をつくる』は、視覚障害者だけじゃなくて、長年いろんな病気で悩んでいた人が、自分と自分の体なんだけど、その体とどう付き合ってきたかっていう、いろんなエピソードが書かれてる本なんですよね。
例えば、摂食障害で、食事をとるときの体の反応とか、それに対する心のリアクションみたいなものを、同じ摂食障害でも全然違うんですよ、一人ひとり。だから疾患名は同じなんだけれども、摂食障害だからと言って全員同じふうに体を捉えてるかというと違って。
例えば、「私は、心とか頭の私はDV夫で、体は妻みたいな感じで、要するに私は体をすごい痛めつけてきました」みたいな。そしたらある日限界を迎えたときに、その弱い妻だった体が逆襲をしてきました、自分に。みたいなことを書いている人がいたりとか。
あと、ALSっていう、筋萎縮性側索硬化症。だんだん筋力が落ちていって寝たきりになってしまうっていう難病にかかった人がいて、その人ダンサーなんだよね。
いろんな介護を受けるときに、その介護する相手の体をどう使うかっていうか、なんかその自分の体が拡張していく。ダンスとかもそういうのってあるかもしれないけど、一緒に踊ったりとかしてるときに、一緒に踊ってる相手の体も自分の体の一部みたいになる瞬間がきっとあるんだと思うんだけれども、それが介護されているときに自分がそう感じる、みたいな話が書いてあって。
それをね、とにかく懇切丁寧に、伊藤さんがありとあらゆる方にインタビューをして、それを言葉にしているっていうのがすごい。

●医学の本質はアートである by ウィリアム・オスラー

小倉:
さっきデータの話をしたけど、医療現場でもこういうアプローチで、そうは言ってもやってる人はいるんです。医学には「量的研究」と「質的研究」があって、「量的研究」っていうのは、いわゆる量で勝負、「Nで勝負」って私たちはよく言うんだけど、なるべく数が多ければ多いほど信憑性がある。
例えば5人に薬の効き目を聞くより、1000人に薬の効き目を見た方が、それは信頼が高くなるみたいな感じで。量的研究って量に依存していくっていうか、研究の質がね。
そういう量的研究っていうのと対照的に、そんなにすごいやられてるわけじゃないけれども、やってるドクターたちもいて、それを「質的研究」って言うんだけれども、その一人ひとりの患者さんにインタビューをしたりとかすることをいうんです。
まさにこの伊藤さんがやってることは質的研究っていうやつで、数人でもいいから、すごい細かく経験とかをヒアリングしたものを研究対象にしてるっていうのもあるから。
だから、数で何でも力勝負的に、すごい莫大なお金をかけて研究費を使って、たくさんの患者さんでガーッてやるっていう研究ばかりが研究じゃないっていうのも、多くの人が知った方がいいのではと思って。

QUIM:
やっぱり一人ひとり個別に聞いていくっていうのは、時間もかかるし、そういう意味でコストもかかるっていうのもある。

小倉:
そうね。時間もかかるし、あとは要するに、量的研究にあまりに慣れている研究者からすると、「そんな、たった1人の超例外じゃん」みたいな。「その人だけの話でまとめた研究なんて研究じゃない」っていう人も多分いるんだけれども、それを言い始めると、医療・医学のアート的なところがどんどん痩せてくような気がしていて。
聖路加病院の院長先生も、亡くなっちゃったけど、日野原重明先生っていう先生がいて。ウィリアム・オスラー先生っていうね、ちょっとMEdit Labでも取り上げてるけれども、アメリカの医学教育の礎を作った、カナダのドクターなんだけれども、その先生の半生を日野原先生がまとめている『医学するこころ オスラー博士の生涯』(岩波現代文庫)という本もあるんだよね。
このオスラー先生がよく残してる言葉に「Medicine is an art based on science」ってあるけど、医学はやっぱりアートなんだ、アートが基本で、それにサイエンスが裏付けられてる。サイエンスを一応ベースにしてるけれども、医学の基本はアートですって言っているわけです。
そういう質的なアプローチっていうか、伊藤さんみたいな、すごく個々人のいろんな経験、いわゆるフィーリングって、AI時代にはもうそれしかないじゃん。数集めてどうってわけじゃないと思うんだよね。
だから、そういう一人ひとりの感じ、フィーリングみたいなものをちゃんと分析して、文章にしてっていう、そういう研究っていうのは、すごくこれからますます、AIの時代には大事になってくるのではって思う。
最近、医学教育も、どういう子が例えば6年間の中で、いわゆるドロップアウトしちゃうかとか、みんな優秀な学力があって医学部入ってくるんだけど、途中で挫折しちゃう子とかいるじゃない。そういう子たちがなぜ挫折しちゃうのか、みたいなことを研究していくみたいなのも、多分ちょっとずつやられてて。どういうエピソードがあって挫折しちゃうのかな、みたいなことってやっぱ大事だと思うんだよね。

QUIM:
そうだね。やっぱり教育にしてもね、本当は一人ひとり違うわけだから、一斉に黒板でこうやって教えるよりも、一人ひとりに個別に教育できた方が、もちろんいいわけだ。でも、それがさ、AIが発達していくと、むしろAIによってそれができる可能性もあるよね。

小倉:
逆にね。

QUIM:
診療とかにしても、お医者さんとこ行ってもさ、なんか数分で終わるじゃん。本当に聞いてんのかな、みたいな。でももしかしたらさ、AIが30分ぐらい聞いてくれて、「あなたはこうかもしれない」って言われたら。なんか、でもそうすると、お医者さんの役割ってなんだっけっていう部分は取られちゃうよね、その話聞いてくれるAIがいたら。
でも一方で、そういう感性的な面っていうのはやっぱり人間にしかないということにしておくと、やっぱりそこにAI時代には可能性があるんじゃないかっていうことだよね。

●AI時代に再注目される「暗黙知」
小倉:
伊藤さんは割と障害に目を向けてる本もあると思うんだけれども。例えば、さっき前回QUIMくんが紹介してくださった金井真紀さんの本の中にあった、いろんな人にフォーカスを当てる、ホテルマンとか左官屋さんとか、そういうのと同じで、ドクター、いわゆる「暗黙知」っていうのが、もう少し研究対象になってもいいのかなっていう気はしてて。
外科医が例えば「ちょっと危ない」「ちょっとやばいかも」って思うのはなぜか、みたいな。手術しててすごい順調にいってたけど、虫の知らせとか直感でちょっとやばいかもって思うのはなぜか、みたいな。それこそ伊藤さんが言ってる、言葉にしづらい感じ。
そこも、いわゆる医学の美学的な側面みたいなものは、まだ掘り出しきれてない気がしていて。
患者さんの話をよく聞くみたいな、そういう感性的なところは本当に氷山の一角で、例えば手技とか。例えばさ、採血が上手い人と下手な人っているんだけど、それって単に器用、不器用とか、センスあるなしで片付けられてるけど、もう少し深掘りしたら、どこの時点でその差が出てくるのかとかわかってくるんじゃないかと思って。

QUIM:
センスっていうのは、まさに美学だからね。それが何なのかっていうところです。

小倉:
ね。でもだから、そういうことも考えていかないとさ、量とかだけで研究してたら、AI時代は本当に仕事なくなる気がする。

QUIM:
そうですね。というか、いろんな現場で必要なのかもしれない。『体の居場所をつくる』を見てて思うのは、そのさっきの表現の仕方っていうか、「自分の中にDV夫と、その妻がいて」みたいなさ、そんなふうに言葉を使って体を表現することってできないじゃん。すごく豊かだなと思った。
自分は「帝国主義者」「独裁者」になってるみたいな話もあるよね。ああいうメタファーの使い方とか。むしろ何か障害のようなものがあるから、言語化していこうっていう気持ちになるんだと思うんだけど、自分の今、普通に当たり前だと思ってることをこう表現しようとすると、できないよね。この自分の「体の居場所」っていうか、この「心地よさ」みたいなね。すごいなと思ったね。

小倉:
だから、やっぱり普段、仕事で診療で、数値とか遺伝子変異どうだろうね、みたいな話をしている中で、たまに伊藤さんの本を読むと、ちょっとリセットっていうか。でも私も、多分、暗黙知的なことをすごく自分の診断能力のよりどころにしている気がしていて、それは全然私も言語化できてないわけ。

QUIM:
でも「見立て」もそうだよね。

小倉:
「見立て」。そうだね。やってるところも、できてるところもあるのかもしれないけど、それはまた別の対象で。伊藤さんがやってるのを読ませてもらってるっていうのが、なんかすごいな、編集的だなと思う。

QUIM:
そうですね。まさに編集工学のフィードバックですよね。ということで、MEdit Labは医学×編集ですから。

小倉:
そうですね。

QUIM:
皆さんも編集工学にも関心があれば、ぜひMEdit Labをチェックしてみてください。

小倉:
ということで、第2回は伊藤亜紗さんを取り上げてみました。

QUIM:
はい、ありがとうございました。

小倉:
ありがとうございます。

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投稿者プロフィール

QUIM
QUIM
メディアのプロとして、立ち上げから今日に至るまでMEdit Labの運営を
全面的にサポートしてくれているSaiQuicのエディター。20代から伝説の編集者、故・松岡正剛にその才能を見出され、数々の松岡プロジェクトに参加してきた。大学時代は勅使川原三郎ゼミに所属し、ダンサーやモデルや役者もできちゃうマルチタレント。