おしゃべり病理医のMEditラジオ COLUMN
MEditLabのポッドキャスト番組「てゆーか医学」の第21回放送は、医療に関わるさまざまな人の人生に迫る「人生いりょいりょ」をお届けします。
今回のゲストは、順天堂大学医学部附属浦安病院で手外科センター長を務める、手外科医の市原理司さん。おしゃべり病理医・小倉加奈子とは、順天堂大学医学部時代の同級生です。
手外科のエキスパートとして国内外で活躍する市原さんですが、そのキャリアは一直線ではありません。
整形外科医として歩み始めて間もない時期に、京都大学で再生医療の研究へ。きっかけの一つとなったのは、医学部入学前に父親が交通事故で頸髄損傷を負ったことでした。
中枢神経に対する再生医療への関心から、やがて末梢神経の研究へ。その過程でマイクロサージャリーと出会い、現在の「手外科」へとつながっていきます。
さらに、研究者として歩み続ける可能性もあったなかで臨床へ戻り、今度は手外科の本場の一つ、フランス・ストラスブール大学へ留学。年間5000例もの手術を行う現場で、日本とは異なる手術の考え方や技術を吸収していきました。
おしゃべりの内容は、
・手外科医のエキスパート・市原理司さん、登場!!!!!
・父の事故と再生医療研究という選択
・漫画『テノゲカ』にも登場するマイクロサージャリーの神様
・まさに「人生いりょいりょ」ーー研究者か臨床医かの分かれ道
・自分の気持ちに正直に、固執せず挑戦する
・フランス・ストラスブール大学への留学
などなど。
スポーツドクターを志すきっかけとなった自身の膝の怪我。父親の事故から芽生えた再生医療への思い。京都大学での研究、マイクロサージャリーとの出会い、そしてフランス留学――。
一見すると「回り道」にも見える経験がつながり、唯一無二の専門性をつくっていく。まさに「人生いりょいりょ」な市原理司さんのキャリアを、小倉加奈子が同級生ならではの視点で掘り下げます。
手外科医って、いったいどんな医者?
研究と臨床、どちらへ進む?
医師のキャリアは、どうやって決まっていく?
医学部を目指す人、進路に悩む医学生や若手医師にも、ぜひ聴いてほしい回です。
それでは、ごゆるりとお楽しみください。
▼その他配信先
・Apple Podcasts:https://x.gd/LUfXT
・Amazon Music:https://x.gd/IArL6
▼チャプター
・手外科医のエキスパート・市原理司さん、登場!!!!!
・父の事故と再生医療研究という選択
・漫画『テノゲカ』にも登場するマイクロサージャリーの神様
・まさに「人生いりょいりょ」ーー研究者か臨床医かの分かれ道
・自分の気持ちに正直に、固執せず挑戦する
・フランス・ストラスブール大学への留学
・年間5000例――スピードを重視するフランスの手術
・整形外科はなぜ細かく部位別に専門医がいるのか
・手外科医とスポーツドクター
・指? 手首? 肘? 手外科は、どこまで診るのか
▼全文公開
●手外科医のエキスパート・市原理司さん、登場!!!!!
小倉:ごきげんよう。おしゃべり病理の小倉加奈子です。この番組は、順天堂大学STEAM教育研究会、MEdit Labがお届けします。MCのパートナーは編集者のQUIMくんです。
QUIM:はい、よろしくお願いします。
小倉:お願いします。
QUIM:今日は『てゆーか医学』の『人生いりょいりょ』という企画で、お医者さんや医療従事者、医療に関係する方をお呼びして、人生いろいろ、医療もいろいろをお聞きするという回なんですけども、今回のゲストは、手外科医の市原理司(さとし)さんです。市原さんは、順天堂大学医学部附属浦安病院の手外科センター長を務めています。そして、小倉さんの医学部時代の同級生です。
小倉:はい。そうなんです。市原理司先生です。今日はよろしくお願いします。
市原:よろしくお願いします。
小倉:通称、「ふとしさん」って言うんですけど、ふとしさんでいいですか? ふとしくんで。
市原:全然、「ふとし」で大丈夫です。
QUIM:なんで「ふとしさん」?
市原:昔、大学1年生の時にフレッシュマンキャンプがあって、その時クラス委員みたいなものに手を挙げて立候補した唯一の人間が僕なんですね。
その時にみんなで写真を撮ったんですけど、メガネが顔に食い込んでいる写真があって、それを見た同級生から「ふとしだ、ふとしだ」って言われて。それから、たぶんほぼ全員がそう呼ぶようになりました。
小倉:本当はさとしさんなのにね、私、今「市原ふとし先生」って言おうとしちゃった(笑)。
QUIM:いいですか? 「ふとし」さんで大丈夫ですか?
市原:全然大丈夫です。
QUIM:本当に、そういうふうに呼んでいるんですね。
小倉:市原先生は今、手外科のエキスパートとして、本当に国内外を走り回っています。Facebookを見るたびに違う場所にいるのよ。今日も来ていただけるのかな、スケジュールを合わせていただけるかなというぐらい、国内外で大活躍されていて。
高校時代は真剣にバスケットボールに取り組み、大学6年間もずっとバスケ部に所属していました。今はスポーツドクターのお仕事もされていて、バスケットボールに関わっておられると思うので、その辺のお話もいろいろ聞いてみたいと思っています。私にとっては自慢の同級生です。
卒業してからは、専門が違うとなかなか会う機会もなかったのですが、最近は同級生と一緒に仕事をする機会が増えていて、それも楽しいですね。
市原:そうですね。
小倉:でも、最近までのことは私もあまり知らないし、「手外科って一体何?」ということをじっくり聞く時間もなかった。普段は、だいたい飲み会で馬鹿話しかしないじゃない?
市原:なかなか面と向かって、自分たちがどうやって医者になったかという話はしないですよね。だいたい、すぐお酒を飲んじゃうしね。
小倉:なので、ちょっと今日はじっくりお話を伺いたいなと思っていて、いいですか?
市原:お願いします。
●父の事故と再生医療研究という選択
小倉:ふとしくんは私と一緒で、2002年3月に順天堂大学医学部を卒業しています。当時は今のような研修制度がなかったので、卒業と同時に専門を決めて医局へ入るのが普通でした。ふとしくんは整形外科に入局した。その後、気がついたら京都大学にいると風の噂で聞いて、「もうこのタイミングで行く?」と思ったんです。ご略歴を見ると、2004年1月に京都大学再生医科学研究所・臓器再建応用分野の特別研究員になっています。ここは本格的な基礎研究をする場所だと思うんですけど、行った理由は何だったんですか?
市原:僕が大学に入る前の1995年。僕は2年間浪人しているんですけど、浪人1年目の時に、父親が交通事故で頸髄損傷になったんです。
小倉:そうだったんだ。
市原:頸髄損傷なので、両手両足が動かなくなりました。整形外科に入局したのは、スポーツドクターになりたかったという思いもあって、そこは重なっているんだけど。その後、京都大学に、当時はまだそれほどメジャーではなかった再生医療で、脊髄再生を研究しているラボがあることを知ったんです。
たまたま順天堂の整形外科の先輩がそこにいらっしゃって、お話を聞く機会がありました。それで、ぜひ京都大学に研究に行きたいと。ただ当初は再生医科学研究所ではないところへ行ったんです。ところが、研究は予算がなくなったり、研究室自体がなくなったりすることがよくあります。まさしく大きなプロジェクトが終わった直後で、その研究室がなくなってしまったんです。
小倉:プロジェクトが終わって、閉鎖していったんだ。
市原:どうしようと思った時に、京都大学再生医科学研究所の臓器再建応用分野で、中村達雄先生が末梢神経の再生医療、人工神経を研究していたんですよ。それにすごく興味があって、ぜひそこへ行きたいと思い、紹介してもらったのが再生医科学研究所です。
小倉:それは順天堂の先輩?
市原:順天堂の先輩で、ラグビー部の先輩がたまたま、もともと脊髄再生の研究所にいらっしゃったんだけど、その先輩が帰ってきて。僕が代わりに行った。だけど、そこは閉鎖になった。脊髄は中枢神経だったけど、僕が実際に研究したのは末梢神経という、指とか手とか、そういったところにつながるような研究で、それが最終的に、僕を手の専門分野の方向に導いてくれたきっかけになりました。
●漫画『テノゲカ』にも登場するマイクロサージャリーの神様
小倉:研究員になると、整形外科のお仕事というのはその間どうされてたんですか?
市原:手術はやっぱりできないので、京都大学の研究室が近くの関連病院に持っている外来で、外来診療をしていました。当時、顕微鏡手術、マイクロサージャリーがすごく上手な先生が、京都ではなく隣の奈良県にいたんですよ。まさしく神の手を持つような人で。
QUIM:『テノゲカ』に出てきますね。
市原:マイクロサージャリーの発祥の地で、初めて切断指を再接着した先生のお弟子さんが、ちょうど奈良県にいて。その先生に師事したくて、毎週、奈良県まで手術を見に行っていました。
QUIM:『テノゲカ』にも掲載されている玉井進先生ですね。そこにつながってくるんですよね。市原先生の人生が『テノゲカ』の中にかなり入っている。
小倉:あとで、ふとしくんが監修した漫画『テノゲカ』のお話や秘話もいろいろ伺おうと思っているけれど、そこからつながっているんですよね。研究をしながら、外来をやったり、奈良の先生のオペを見に行ったりする生活が4年ぐらい?
市原:そうですね。4年間やりました。その後、皆さんご存じのiPS細胞がちょうど出てきた時期だったので、本当はもう少しいたかったんです。
小倉:出てきた時期ですね、まさに。
市原:iPS細胞の研究が始まる時だったので、残っていれば、おそらく初期の段階から加われたと思います。でも、人事の都合でどうしても帰ってこなければならなかった。ただ、半年間だけ、月に1回、京都へ研究をしに行くことを許可されたので、結局4年半ぐらい関わっていたのかな。
●研究か臨床か、まさに「人生いりょいりょ」
QUIM:人生の分かれ目として大きいですよね。iPSのほうに行くか、その後、手外科のほうになるか。
小倉:あとで後悔したりしました?
市原:最初は、帰ってきたことがものすごく嫌だったんです。でも、帰ってきたことによって、また新しい手外科のお師匠さんというか、メンターの先生とも会えたので、結果的には良かったかな。
小倉:なるほど。まあその辺ね、難しかったり、ご縁もあったりしますもんね。
小倉:で、そのタイミングが2010年の7月ってことになるんですかね。その時も浦安病院?
市原:最初は江東区にある江東病院というところに就職をして、そこで2年間を経て、今度、浦安病院の手のチームに入ったという。
小倉:なるほど。じゃあ、医学博士っていうのは京都大学で取ってるんですか?
市原:博士号自体は、こちらへ帰ってきてから学位審査を受けています。研究はすべて京都大学でやって、審査は順天堂で受けたので、順天堂大学の学位です。
小倉:ああ、そうなんですね。
小倉:で、私はもう一つちょっとお聞きしたいんですけど、研究をやっていると、どうしてもさっきおっしゃったように、手術にたくさん入れるわけでもないってなると、整形外科としてスタートした時に、仲間に遅れをとるみたいなのとか、そういう焦りっていうか、ありました?
市原:やっぱり焦りはありました。それもあって、奈良の先生の手術を見に行き、助手として入らせていただくことで、臨床のスキルを磨きました。実は、僕らの末梢神経再生の研究には、動物実験でマイクロサージャリーを行う側面もあったんです。研究室に顕微鏡を置き、ネズミやウサギの神経再生を研究していたので、実験を通して顕微鏡手術の修練もできました。
小倉:そういうことか。
市原:見学や手術助手としては入るけれど、執刀医ではない。そういう環境でも、たまたま研究内容がマイクロサージャリーを必要とするものだったので、手術の技術を落とさず、自分なりに磨くことができました。
小倉:すごいな。
QUIM:ここまで、小倉さんが質問していたのは、一般的には整形外科からそのまま手外科へ進むところを、なぜ京都大学へ行き、専門性の高い再生医療の研究に飛び込んだのかということですよね。
小倉:大学院へ進む際、学位を取ることを主な目的にする方もいます。それはそれで一つの選択肢だけど、ふとしくんはそうではなく、研究に一生を捧げるような本格的な分野に足を踏み入れている。外科医と研究者の両立は、すごく難しいと思ったんです。
特にお若いし、外科医としてスタートする初期の段階、卒業して3年目とかの段階でそこに行ってるっていうのは、結構すごい。そこは大きな選択なんじゃないかなと思って。
QUIM:それはやっぱり先ほどのお父様のこともあったかもしれないですけど、結構悩まれてその選択をしたっていうよりも、もう「ここに行くしかないな」っていう感じだったんですか?
市原:その研究をしたかったので、行くこと自体に迷いはありませんでした。ただ、向こうに長くいることへの焦りは当然あって、どのタイミングで帰るかという難しさはありました。
QUIM:それが難しいのか。
市原:もし「帰ってこなきゃだめだ」ということがなければ、僕は向こうでさらに研究を続けていたかもしれません。それは結局、臨床の大事さがまだ分かっていなかったということでもあるのかもしれない。もっともっと研究して、もっといい研究をしたいと、研究にのめり込んでいた時期でした。
そこでぐっと方向を変えられ、臨床へ向かうことになった。最初は心残りもあって、「なんでこんなことをするんだ」という気持ちもありました。でも、帰ってきてしばらくたつうちに、「帰ってきてよかった」と自分の中で咀嚼できたのかもしれません。
小倉:なるほどね。
QUIM:「人生」ですね。そう、「人生いりょりょ」です。こういうね、回り道かもしれないけど。
小倉:特に外科って、それが難しいかなって。内科が簡単ってわけじゃないんだけど、研究と診療の両立っていうのが。私たちも病理診断の症例数をしっかり稼がないと、できる医者にならないっていうのと、なんか似てる。外科って、せっかく外科医になったなら、腕がいいドクターをもちろんみんな目指すでしょ。その中で、これだけガチな研究分野に一旦足を踏み入れるっていうのは……。なんで市原くんが京都大学にいるのだろう、みたいな。すごい研究をやってるっていうのは風の噂で聞いてたから。いろんな雑誌の査読とかも、すごい若いけど依頼されているようなお話も伺ってたから。ふとしくんは整形外科医になったけど、その先どこに行くのか。でもなんとなく、なんで京都大学なんだろうって、ちょっとふわっと疑問があったんですけど、今日すごくよくわかりました。
●自分の気持ちに正直に、固執せず挑戦する
QUIM:この番組を聞いている方には、ドクターやドクターの卵、医師を目指している子もいると思うんです。進路の選択に悩んだ時、どのようにアドバイスしますか?
小倉:ふとしくんはどうですか?
市原:僕の基本的なスタンスは、自分の気持ちに正直であることです。さらに言うと、僕自身、あまり長い間、同じことをするのが得意ではないんです。
例えば、最初の研修時代を2年間過ごした後、「次はどうしよう」と考えました。今の時代とは少し違いますが、そのまま大学病院でさらに4年間やっても、外の病院に出たら、また臨床研修と同じような仕事をする可能性があったんです。
QUIM:なるほど。
市原:それだったら、頭も柔らかい今の時期に、研究に打って出るのもいいかなと思ったんですよ。
タイミングとしては早かったけれど、結果的に、柔軟にいろいろなことを考えられる時期だったので良かったと思います。皆さんも悩んでいるのなら、自分の気持ちに正直であることと、一つのことにあまり固執せず、どんどんチャレンジしていく思考回路を持つこと。そうすれば、研究のような新しい方向にも、ぱっと踏み出せるかもしれません。
小倉:ある種、感情的でもあるけど、計画的でもあるっていうか。
QUIM:だけど戦略もある。
市原:戦略もある。
小倉:それはすごく必要だと思うなあ。そうした選択が、唯一無二の経歴になっているような。
●フランス・ストラスブール大学への留学
小倉:その3年後に、フランスへ留学されていますよね。ストラスブール大学手外科センターのクリニカルリサーチフェロー。この選択には、どのようなきっかけやご縁があったんですか?
市原:当時、僕らの整形外科学講座の主任教授だった金子和夫先生が、フランス学派だったんです。金子先生はパリで4年間、研究と臨床の経験を積んで帰ってこられた方なので、フランスへつないでくださる道筋がありました。僕が行ったストラスブール大学手外科センターには、Philippe Liverneaux(フィリップ・リベルノ)教授がいらっしゃいます。この方が、日仏整形外科学会の交換留学制度における、第1回のフランスからの交換留学生だったんです。
QUIM:その先生が。
市原:はい。なので、いわゆる日本の文化とか日本の先生方の考え方をすごくよく理解されている先生なんですよね。
小倉:すごいね。じゃあ日本語喋れるの?
市原:ちょっと喋れる。いろいろな先生が、良い言葉も悪い言葉も教えるから、その中から自分が使いたい言葉を上手に選んでいましたね。基本は英語で話してくれるんですけど、途中で突然、日本語が出てくるような先生でした。そういう出会いを金子先生がつないでくださり、僕はたしか第8回の交換留学制度でフランスへ行きました。
小倉:でも、ほかにも行きたい人がたくさんいたんじゃない? 整形外科の医局員の数に、まず驚いたもの。
市原:当時、僕らの学年は比較的少ないとはいっても10人くらいいて、一つ下の学年は16人くらいいました。
その2学年と、さらに一つ下の学年くらいが、ちょうど留学に行く時期でした。みんな大学卒業後10年くらいで行くので、希望する先生は2、3人いたかもしれません。例えば、小倉さんも知っている長尾雅史先生は、僕と同じタイミングでボストンへ行っています。当時はアメリカへ行く傾向が強かったのですが、僕にはフランスとのつながりがありました。フランスは手外科の発祥の地といわれるほど歴史があり、400年ほど前から手外科の技術を紹介した本がある。アメリカが一番だという話の中でも、「実はフランスなんだ」と考える人がいるので、手外科の留学先としてすごく良い場所だと思いました。
QUIM:それで、フランスに決めたんですね。
小倉:その時、ご家族はいらっしゃいましたっけ?
市原:いました。
小倉:医師になって11年目ということですもんね。
市原:行く時は、僕と妻と、当時3歳の息子の3人でした。帰ってくる時は、僕と妻と息子と娘の4人。娘はフランスで生まれたんです。フランスで生まれたので、いくつかの条件を満たせば、18歳になるときに、フランス国籍を取得することもできます。
QUIM:なるほど。出生地主義なんですね。
市原:Philippe Liverneaux(フィリップ・リベルノ)教授は娘のゴッドファーザーで、奥様がゴッドマザーです。もし娘が将来「フランスへ行きたい」と言った時は、「僕らが面倒を見る」と言ってもらえています。もし行くと言ったら、僕らとしては寂しいけれど、そういう可能性もあります。
●年間5000例――スピードを重視するフランスの手術
小倉:フランスには何年いらっしゃったんでしたっけ?
市原:ストラスブールに2年弱です。
小倉:2年弱。ここでは、どういうことをしたんですか?
市原:今のフランスでは、留学して手術や臨床に携わることはかなり難しいんですけど、当時は日本の医師免許で手術ができる環境でした。
小倉:厳しくなってしまったんですね。
市原:今は政策や移民問題などが絡み、EU圏外から来た医師が手術をすることに対して、フランス政府がかなり厳しく規制しています。当時はまだそうではなく、免許があれば、もちろんボスの指導のもとでですが、手術をすることができました。
小倉:そこで2年間、研究というより、主に臨床を学んだということですか?
市原:そうです。朝から晩まで、毎日、手術とオンコール(緊急手術の必要が生じた際、呼び出しに応じて対応する勤務形態)という感じで、本当に臨床をしながら生活していました。
小倉:それまでも、日本で奈良へ教えを請いに行ったり、日々の臨床の中で手外科に触れたりしていたと思うんですけど、本格的に手外科に取り組む2年間だったんですね。
市原:まさしくそうです。順天堂大学浦安病院にいた2年半も、上司の原章先生に教わりながら手外科に取り組んでいました。ただ、1日に行う手術の件数が圧倒的に違う。フランスでは、年間5000例の手の手術をするんです。一人のスタッフが年間800例ぐらい手術をします。
小倉:どういうこと? 年間365日しかないよ。
市原:そうなんです。数が合わないですよね。スタッフの先生たちは、一日に8件から10件の手術をします。
手術がとてもスムーズに回るシステムなんです。一件の手術がこの部屋で終わり、患者さんが出てくると同時に、次の患者さんが入ってくるという感じで、待ち時間が一切ありません。
QUIM:どんどん回っていくんですね。
市原:隣の部屋には麻酔科の先生がいて、どんどん麻酔をかけ、前の手術が終わったら次の患者さんが入る。もともと予定された手術が6件ぐらいあり、その後に、その日来た緊急手術が3件、4件と入ります。それでも、朝8時半に始まって、だいたい午後2時ぐらいには終わってしまうんです。
小倉:やっぱり、スピードは大事ですか?
市原:そこは、日本とは少し考え方が違います。日本の先生は、手術で100点を取りにいく。それを僕は否定しません。例えば、手首の骨折の手術で100点を取りにいこうと思ったら、1時間、長いと1時間半ぐらいかかります。ところが、フランスで僕が初めて執刀した時、慎重に手術をしていて25分が過ぎると、なぜかスタッフが僕の周りを囲んだ。看護師さん、麻酔科の先生、助手、患者さんを移動させるスタッフたちが、「サトシは今日は調子が悪いのか」と話し始めた。
QUIM:萎縮しちゃうじゃん、そんなの。
市原:「調子が悪い?」「そんなことないよ。いつも通りだよ」「だって、手術が25分たっても、まだ終わらないじゃない」というスタンスなんです。つまり、スピーディーに手術をこなす。
小倉:そして、無駄のない手術をする。
市原:100点は目指さない。だいたい80点くらいを目指すのが、僕のいたところの考え方でした。スピードが命です。例えば、手首の神経が圧迫される手根管症候群の手術も、僕らが日本でやれば20分くらいかけますが、僕のボスは3分から4分。無駄がないというか、必要なことしかやらないんですよ。
小倉:なるほど。でも私、整形外科はすごく厳しいと思ったことがあって。お腹の手術などは、成功したか失敗したか、先生が上手いか下手かということが、患者さんには分かりにくい。でも、整形外科の手術は、痛みが残るとか、動きが引っかかるとか、結果が分かりやすいですよね。先生に「100%の手術をしました」と言われても、患者さんが「全然痛いままです」と感じたら、その患者さんにとっては100%ではない。外科医として「100%のオペができた」と思うことと、患者さんの満足度が乖離することもあるんじゃないか。それはつらいし難しいし、外科の中でもすごくシビアだと思っていたんです。
小倉:今、伺っていて思ったのは、早く終わって、完成度は8割程度でも、患者さんが「すごく良くなった」と感じられるなら、それも良いのかなと。
市原:早く終われば、患者さんの傷が開いている時間も短くなるので、細菌による感染率も下がります。僕が所属していたストラスブール大学は、傷を大きく切ることを望まず、小さな傷で手術することに重点を置いていました。小さな傷なら、切る筋肉も少なく、組織のダメージも減るので、早期に回復できます。
ただ、それがどの手術にも通用するわけではありません。例えば、先ほどの手根管症候群の手術は、先生は3分で、僕は20分かけていました。でも、小さく切れば神経を痛めるリスクもある。この術式は日本へ持って帰ろうとは思いませんでした。一方、手首の骨折手術を2センチの傷でも5センチの傷でも同じようにできるなら、2センチで行った方が早く回復できる。その術式は日本へ持ち帰り、今も後輩たちに教えています。
小倉:なるほど。手外科のメッカといわれる場所で2年間、手術三昧の日々を送りながら、ふとしくんなりに、自分の経験と照らし合わせて取捨選択したんだ。「これは日本へ持って来られる技術だ」「これは違う」と。
QUIM:全部をそのまま取り入れるのではなく、フィルターをかけて、「これは日本へ持ってきた方がいい」と考えたんですね。
●整形外科はなぜ細かく部位別に専門医がいるのか
小倉:帰国されたのは、2015年ぐらいですかね。帰国後は、また浦安病院に戻られたんですか?
市原:はい、浦安に戻りました。
小倉:ずっと浦安にいるのは、何か理由があるんですか?
市原:特別な事情はありません。先ほど話した、手外科が専門の先輩、原章先生がずっと浦安で働いていました。僕らの同門である整形外科学教室には、手外科の専門家が比較的少なかったんです。その中で原先生は、いろいろな外傷だけでなく、コールドサージャリーといわれる変性疾患の予定手術などにも積極的に取り組み、順天堂の中で一番多く経験されていました。帰るなら、やっぱりそこへ帰りたい。帰国前に「浦安に帰って、また一緒に働けますか」と連絡し、原先生に人事を調整していただいて、戻ることができました。
小倉:2015年から、またずっと浦安の整形外科に勤務されている。その後、2023年に外傷再建センター長、2年後には手外科センター長に就任されて、現在に至るという感じですかね。
市原:そうですね。外傷の手術は、どちらかというと若手から中堅にかけて、たくさん数をこなさなければならない時期に多く経験するものですが、かなりパワーが必要です。浦安病院では、ほぼ毎日のように緊急手術をします。そういうところで若手をサポートしつつ、自分も手術ができる環境に身を置くことは、とてもありがたい。
そして今は手のスペシャリストとして、外傷だけでなく、少し言い方は悪いですけど、ほかの病院で治療がうまくいかなかった患者さんもたくさん来ます。そういう患者さんたちを治すことが、これからの自分の仕事なのかなという思いで取り組んでいます。
小倉:私、すごく疑問だったんですけど、整形外科の先生って、びっくりするぐらい部位別に専門家がいますよね。肩関節、股関節、膝関節、手外科、脊椎と、細かく分かれているのはなぜですか?
市原:いくつか理由があると思います。一つは、整形外科医の数が多いので、ある程度、分野別に分かれた方が、それぞれ経験を積めることです。例えば、すべての手術を一人の先生がやっていると、若い先生たちが経験できなくなりますよね。
何かを極めたいなら、手術も手の専門、研究も手の専門というように分野化することで、より深く取り組めます。整形外科の専門医は6年ほどで取るんですけど、その先に何をやりたいのかを考える。いろいろなものに興味を持って取り組むのも一つの方法ですが、何か一つを極めたいという先生が比較的多いので、それぞれの分野へ特化していくのかもしれません。
●手外科医とスポーツドクター
小倉:一方で、スポーツドクターという仕事があります。ボランティア的な側面も多いと思うし、ふとしくんのど真ん中の専門ではないかもしれないけれど。試合中に怪我をした時の手当てだけでなく、「全治何カ月」「何週間」といった見立ても大事だと伺ったことがあります。スポーツドクターを極める整形外科医もいるんですか? 部位別の専門医と、どのように共存しているんでしょう。
市原:うちの整形外科学講座にも、スポーツの日本代表を診ている先生がたくさんいます。彼らは、どちらかというとフィールドで選手たちと接する。一方で僕らは、スポーツで怪我をした人を、最終的に病院で治す立場のスポーツドクターでもあります。
小倉:後方部隊みたいな。
市原:例えば野球選手が怪我をしたとします。フィールドドクターから「指を骨折した選手がいるんですけど、診てもらえますか」と電話がある。「分かりました。この時間に来てください」と。来てもらってチェックし、「このままフィールドに戻るのは難しいから、こちらで手術をして、このぐらいの時期に復帰できます」と、復帰まで診るんです。
フィールドにいる先生たちは、かなりまんべんなく診られなければならないと思います。そこで何かが起きた時、最終的に完全復帰させるための手術をするのは、やはり後方にいる人間です。僕はそういう意味で手の手術を担当する。もちろん、大きな大会では前線に出ることもありますけど。
小倉:そうですよね。練馬病院の金先生も、バスケットボール日本代表に関わっていますよね。試合を見ていると、金先生が画面によく映って、まるで選手みたいで。練馬病院には、見るからにバスケットボール選手という大きな患者さんが来ることもあって、「絶対、金先生の患者さんだろうな」と思うんです。金先生も、前線だけでなく、最終的に後方でしっかり診る。膝がご専門でしたっけ?
市原:膝が専門です。金先生は、後方でもしっかり治療し、フィールドの方でもトップにいる。僕らとは少し違う立ち位置で、日本のバスケットボール全体を見ていらっしゃる方です。
QUIM:スポーツドクターには、前線で密接に関わるタイプと、少し後方から支援するタイプがいる。それも全然知りませんでした。
小倉:整形外科といっても、それぞれの価値観があって、ものすごくいろいろな働き方をしているんですね。
●指? 手首? 肘? 手外科は、どこまで診るのか
QUIM:そもそも『テノゲカ』を読んで市原先生とお会いするまで、「手外科」という名前すら知りませんでした。最初は、どう読むんだろうと思った。手外科は、手だけを診るんですか? 手首まで入るんですか?
市原:手首までです。
QUIM:手首までなんだ。
小倉:じゃあ、ピアニストも診るの?
市原:ピアニストも手外科医が診ます。
QUIM:腕のあたりを怪我した場合は、どうなるんですか?
市原:実は、手外科医は肘まで診ます。
QUIM:肘まで。
市原:「手・肘外科」という言い方をする大学もあります。「上肢外科」と呼ぶ大学では、肩まで入ります。
QUIM:いろいろな分類があるんですね。ちなみに、部位の中で人気というか、専門にする人が多い分野はありますか? 股関節や膝ですか?
市原:多いのは、おっしゃる通り、膝と、あとは脊椎、背骨です。
小倉:脊椎分離症とか。
市原:脊椎すべり症など、非常にたくさんあります。
小倉:脊柱管狭窄症もよく聞きますよね。
市原:例えば脊椎なら、ヘルニアもあります。背骨は、老若男女、いろいろな年代の方が病む場所じゃないですか。脊椎疾患のフィールドはすごく幅広いので、そこを目指す人も多いんです。
膝も、スポーツをする人もいれば、成長段階で怪我をする子どもや、年齢とともに膝が悪くなる人もいる。いろいろな患者さんがいます。あとは、「整形外科イコール膝」というイメージもある。でも、「整形外科イコール手」は、少し遠いんです。
小倉:形成外科とも、よく間違えられるよね。
市原:手は、形成外科のイメージが強いかもしれません。
QUIM:マイクロサージャリーは、形成外科でも行うんでしたっけ?
市原:そうですね。形成外科には美容外科もありますが、基本的には形や機能を整える分野です。
QUIM:市原先生は、もともとスポーツをしていて、スポーツドクターになりたいという思いが、医師を志した理由としてあったんですか?
市原:そうです。もともとは、膝を怪我した時にスポーツドクターに助けてもらったことがきっかけです。
QUIM:膝なのか。
市原:はい。まさしく、その時の膝の怪我がきっかけでした。
それで、スポーツドクターになりたいという気持ちで医学部を目指していました。その後、父親が事故に遭ったんです。
QUIM:なるほど。
市原:だから、スポーツドクターにもなりたい。一方で、研究によって脊髄損傷を治したい。そういう二つの思いがありました。
QUIM:膝の怪我と、お父様の事故。その二つの経験が、市原先生の医師としての道につながっているんですね。まだまだ聞きたいことが多すぎます。すごく面白かったです。市原先生がスポーツドクターとしてどのような活動をしているのかも、まだ十分に聞けていません。本当にすごい方なんですよ。
小倉:本当、そうなんです。
QUIM:まずは、そういう市原先生のことを覚えていただいて。次回は、監修なさった『テノゲカ』のお話を伺います。
小倉:そうですね。この漫画を通して、またいろいろとお聞きしたいです。
QUIM:市原先生のお仕事の話も聞けそうですし、市原先生の人生がこの作品に入っているようにも思いました。
小倉:どうもありがとうございました。
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投稿者プロフィール

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メディアのプロとして、立ち上げから今日に至るまでMEdit Labの運営を
全面的にサポートしてくれているSaiQuicのエディター。20代から伝説の編集者、故・松岡正剛にその才能を見出され、数々の松岡プロジェクトに参加してきた。大学時代は勅使川原三郎ゼミに所属し、ダンサーやモデルや役者もできちゃうマルチタレント。
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