てゆーか医学 おしゃべり病理医のMEditラジオ
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COLUMN
2026.08.17
2026.08.17
#020 ルネサンスの利休? 宗教は「編集」? 「歴史嫌い」にこそ『17歳のための世界と日本の見方』
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MEditLabのポッドキャスト番組「てゆーか医学」の第20回放送は、「ゆるっとMEdit」、通称「ゆるメディ」をお届けします。

今回は、2024年8月12日に亡くなった、編集工学の提唱者・松岡正剛さんを偲んで、『17歳のための世界と日本の見方――セイゴオ先生の人間文化講義』(春秋社)を取り上げます。

「歴史」と聞くと、年号や人物名を暗記する退屈な勉強を思い浮かべる人もいるかもしれません。

しかし、この本はいきなり歴史から始まりません。

「そもそも人間とは何か?」
「人間はなぜ物語をつくるのか?」
「宗教はどうやって生まれたのか?」

発情期を失った人間から、ブッダ、モーセ、キリスト教、日本神話へ。そして、ルネサンスとバロック、シェイクスピア、ガリレオ、ケプラー、千利休、古田織部まで――。松岡正剛さんは、時代も国もジャンルも飛び越えながら、歴史のなかに思いがけない「関係」を発見していきます。

おしゃべりの内容は、

・そもそも人間とは? 文化とは? 編集とは?
・発情期を失って、「おしゃべり」が始まった?
・宗教を「編集」として捉える衝撃!
・QUIMと『17歳』の出会い――9.11、モロッコ、サダム・フセイン
・「ルネサンスの利休、バロックの織部」という驚きの見立て
・シェイクスピア、ガリレオ、ミケランジェロを「同じ時代」で見る
などなど。

「ルネサンス=利休」「バロック=織部」「パウロ=宗教編集者」――そんなふうに、一見まったく違うものを大胆につないでみる。でも、思いつきだけで終わらず、そのあとで調べ、比べ、検証していく。

松岡正剛さんがこの本で教えてくれるのは、歴史の「正解」そのものではなく、世界を面白く見るための方法なのかもしれません。歴史が好きな人はもちろん、「歴史って暗記ばかりで苦手……」という人にこそ手に取ってほしい一冊です。

そして今回は、QUIMが約20年前、この“黄色い本”と出会ったことから、編集工学、そして現在の仕事へとつながっていった個人的な「読書の歴史」も振り返ります。

それでは、ごゆるりとお楽しみください。

▼その他配信先
・Apple Podcasts:https://x.gd/LUfXT
・Amazon Music:https://x.gd/IArL6
・YouTube:https://youtu.be/LugicabIrXs

▼チャプター
・そもそも人間とは? 文化とは? 編集とは?
・発情期を失って、「おしゃべり」が始まった?
・宗教を「編集」として捉える衝撃!!!!!
・QUIMと『17歳』の出会い――9.11とサダム・フセインの処刑
・ルネサンスの利休 バロックの織部――世界をおもしろく発見する方法
・コピーライティングの教科書として読む――「17歳の精神」「宗教編集」「ルネサンスの利休」
・「人殺し(1564)、いろいろ(1616)」の時代――シェイクスピア、ガリレオ、ミケランジェロ
・歴史の見方と医学の方法――カルテにはたくさんの「歴」がある
・フェルメールの光の表現と顕微鏡――医学とアートがつながる
・ゴシップからナショナリズムへ――シェイクスピア別人説とヘンリー8世離婚問題
・アブダクションでいこう――陰謀論と考察ブームと編集力
・私にとっての「黄色い本」――本はな、ためになるぞぉ〜〜by 実ッコのトーチャン

▼全文公開

●そもそも人間とは? 文化とは? 編集とは?

小倉:
ごきげんよう。おしゃべり病理医の小倉加奈子です。この番組は、順天堂大学STEAM教育研究会、MEdit Labがお届けします。MCのパートナーは、編集者のQUIMくんです。

QUIM:
はい、よろしくお願いします。今回の「てゆーか医学」は「ゆるっとMEdit」、ゆるメディということで、本を紹介します。

今回紹介するのは、松岡正剛さんの『17歳のための世界と日本の見方――セイゴオ先生の人間文化講義』です。

小倉:
春秋社から出ている単行本ですね。

QUIM:
なぜこの本を取り上げるかというと、私たちの師匠である松岡正剛さんが、2024年8月12日に亡くなられて、ちょうど2年が経ったんですよね。

小倉:
早いですね。

QUIM:
前回は、いとうせいこうさんの『「国境なき医師団」になろう!』を取り上げました。戦争のことがよく報道される時期でもあるし、松岡さんの命日でもあるということで、続けて取り上げようと思いました。松岡さんの本を毎年1冊ずつ取り上げられたらと思っていて、今回はこの本にしました。

 

#019 「国境なき医師団」になろう! いったい何者、”俺”と”私”のいとうせいこう???

小倉:
名著ですよね。

QUIM:
僕は、実際の松岡さんに出会う前に、この本と出会っているんです。

小倉:
最初に?

QUIM:
そうなんです。かなり思い入れの深い本なんですけど、小倉さんはどうですか?

小倉:
私はイシス編集学校に入ったのが2011年なんですけれども、割と初期にこの本を買いました。

QUIM:
松岡正剛さんは「編集工学」を提唱していて、STEAM教育研究会、MEdit Labのコンセプトの一つも編集工学なので、松岡さんは取り上げなければいけないと思っていたんですよ。

小倉:
ずっと「ちゃんと取り上げるのは勇気がいるね」と言っていたんですよね。

QUIM:
そうですね。「編集」はよく知られている言葉でありながら、松岡さんの言う「編集」は、もっと広い意味で使われているので、分かりにくさもあります。

この本は『17歳のための世界と日本の見方』という題名で、歴史の話も出てきます。でも、歴史の前には文化という文脈がある。「人間文化講義」という副題にも、それが表れています。

小倉:
要するに、「そもそも人間とは何だろう」という話から始まるんですよね。

QUIM:
松岡さんは、人間が表現することや何かを学ぶことなど、人間の営みそのものを「編集」と捉えていて、そこから話が始まるんです。

小倉:
『17歳のための』と名付けられているので、松岡さんの著書のなかでは非常に読みやすい本だと思います。

松岡さんは、「生命に学ぶ、歴史を開く、文化に遊ぶ」という三つのコンセプトを話されていて、それがとてもよく表れている本ではないでしょうか。

「歴史」というと、年号や出来事が出てきて、それについて説明するような歴史書を思い浮かべると思います。でも、そのイメージで読み始めると、まったく違う。『世界と日本の見方』という題名どおり、「こういうふうに歴史を見ると面白いよね」という見方が提示されています。

QUIM:
歴史を、自分のすごく身近なものとして感じられるというか。

小倉:
そうですね。

●発情期を失って、「おしゃべり」が始まった?

QUIM:
第1講は「人間と文化の大事な関係」です。人間が「ヒトザル」から人になっていく過程で、どのように変わっていったのかが語られます。

小倉:
二足直立歩行をするようになり、発情期を失っていく。

QUIM:
「いま自分たちがいる」「いま、ここにいる」という感覚と、その向こう側に何かを感じること。それが、宗教のような見えないものや、芸術表現へと変わっていく。進化の過程で、そういうことが起きていった。

そして、そのようになった人間が次に何を持ったのかというと、物語を持った。第2講は「物語のしくみ・宗教のしくみ」です。

小倉:
第1講について、少し話してもいいですか。私がこの本を読んだのは、もう医師になってからです。17歳ではなく、たぶん40歳近くでした。

QUIM:
いいんですよね。17歳ではない大人も、たくさん読んでいる本です。

小倉:
医師としての素地を持って読み始めたんですが、第1講がかなりセンセーショナルでした。「ここから入るんだ」と。

三つの柱の最初に「生命に学ぶ」がありますが、本当に生命の話から始まっている。例えば、発情期を失った人間とは何か。発情期を失うと、いつセックスしてよいのかが分からない。だから言語が出てきて、そこから物語、あるいは歴史が始まる。

そんなふうに教えてくれた人は、今までいなかったなと思いました。

QUIM:
普通は、そこが歴史を学ぶことにはつながらないですよね。

小倉:
そう。進化というジャンルで語られることであって、社会科的、歴史的な見方とはつながらない。そういうふうに教えてくれる人も、本も、なかなかなかった。

QUIM:
歴史というと、まず四大文明から始めるとか。

小倉:
日本史なら、縄文時代から始めるとか。

QUIM:
「その前があるだろう」ということですよね。

小倉:
「世界と日本の見方」は、ここから始めなければいけないんだ、ということが、私にとって第1講の衝撃でした。

●宗教を「編集」として捉える衝撃!!!!!

QUIM:
ここからがまたすごい。第2講は「物語のしくみ・宗教のしくみ」です。

最初にブッダやモーセの話があり、第3講に進むとキリスト教の話も出てきます。それらを「編集」という見方から考える。普通は、なかなかそういう発想をしないじゃないですか。

オウム真理教の事件が1995年にあって、その後もイスラム過激派によるテロ事件などがあった。宗教は怖いものだという、勝手なイメージがあります。

小倉:
あとは、日常では語ってはいけないもの、怪しいもの、怖いものという感じもありますよね。

QUIM:
でも、そもそも人間は物語を持たざるを得ない。意識を持ったときから、宗教的なものも持たざるを得ないのかもしれない。「無宗教です」と言う人でも、信じることや信仰に近いものは、おそらく誰もが持っている。

そういうものがあるという前提から、地域ごとの仏教、ユダヤ教、キリスト教、中国の老荘思想などへ入っていく。この流れが面白いんです。「宗教編集」や「物語編集」という見方もそうです。

小倉:
宗教から世界を見ることや、物語について考える本が、最近になって新書などでもかなり出てきました。時代がようやく松岡さんに追いついている。

QUIM:
「宗教を見なければ世界史もビジネスも分からない」と言われますよね。アメリカも、福音派を知らなければ分からない。そのことをまさに扱っている。

小倉:
この本が出たのは2006年です。20年も前に、それを言っていた。

QUIM:
松岡さんは、さらに遡って、生命のところからずっと考えていました。

小倉:
発情期を失った人間の話より、さらに手前のRNAワールドからね。

QUIM:
少し前から「ビッグヒストリー」といって、138億年の歴史を捉える見方も出てきました。『サピエンス全史』などに近い視点も、松岡さんはすでにやっていたように感じます。

それにも衝撃を受けました。キリスト教はとても有名だけれど、何かと聞かれて説明できる人は、たぶんほとんどいない。そこにパウロが出てきて、「彼が編集したんだ」「パウロは宗教編集者だった」と説明する。

小倉:
そんな発想は、なかなかないですよね。でも、聞くと「確かに」となる。

QUIM:
松岡さんは、RNAのことも「編集者」と言っていますからね。

そして第4講では、日本の話になります。私たちは「日本人だ」「日本文化はすばらしい」と言うけれど、「日本について説明してください」と言われると、なかなか難しい。その日本のコンセプトを、とても面白く説明しようとしている。

小倉:
そこでも、日本神話に戻る視点があります。『古事記』や『日本書紀』を取り上げて説明している。物語や神話を土台に、日本独自の、あちこちに神様がいるような宗教がある。

第1講から第3講までで考えたことが、次の講で回収されていく。それらを「編集エンジン」、つまり見方として使いながら説明しているんですよね。

●QUIMと『17歳』の出会い――9.11とサダム・フセインの処刑

QUIM:
僕がこの本に出会った経緯を話すと、2007年ごろだったと思います。

小倉:
発売されて、かなりすぐですね。2006年刊ですから。

QUIM:
当時はまだ、紀伊國屋書店の新宿南店がありました。高島屋のそばにあった大型書店で、僕はそこが好きだったんです。店内をうろうろしていたときに、松岡さんの本と出会いました。

その前に、僕はイギリスのマンチェスターに3、4か月ほど滞在していました。いま、マンチェスター市長だったアンディ・バーナムさんが首相になったけれど、そのマンチェスターです。

世界同時多発テロからまだ数年しか経っておらず、ロンドンでもテロがあって、少し怖い状況でもありました。イギリスにはすでに移民の人たちもかなりいました。

海外に行くと、日本のことを聞かれますよね。でも、僕は何も答えられなかった。英語力の問題ではなく、そもそも何も知らないからだと気づきました。

それから、先ほどの宗教の話です。9・11や過激派が大きく報道される一方で、僕はイスラム教そのものについて何も知らなかった。

小倉:
イスラム教イコール怖い、イコールテロ、というようなね。

QUIM:
いまだに、シーア派とスンニ派など、分からないことが多い。留学生に対しても、「イスラム教って怖いんじゃないの?」というような、すごく失礼なことを言っていました。そのときに、「なぜ自分はこんなに何も知らないんだろう」と強く思ったんです。

3、4か月の留学を終えて帰る前に、ヨーロッパを回ろうと思いました。当時、ビョークやシガー・ロスなどアイスランドの音楽が好きだったので、アイスランドへ行きたかった。もう一つの選択肢は、モロッコでした。

小倉:
だいぶ違いますね。

QUIM:
だいぶ違うでしょう。それで、結局モロッコへ行くことにしました。若かったので、陸路でロンドンからパリ、マルセイユ、バルセロナへ行き、さらにスペイン南部のアンダルシアまで下って、船でモロッコへ渡りました。

タンジェからフェズへ行き、さらにバスでアトラス山脈を越えて、サハラ砂漠のほうまで行って2、3日過ごしました。モロッコの街にはモスクや市場があって、本当に映画に出てきそうでした。

スペインを南へ進むほど、イスラム文化が入ってきていることがよく分かり、イスラム教徒もたくさんいる。モロッコへ行くと、もう完全にイスラム文化です。

船に乗るために戻ってきて、カフェにいたら、アルジャジーラのニュースでサダム・フセインが処刑される瞬間が放送されていました。「何が起きているんだろう」と思いました。

小倉:
アルジャジーラでは、かなり放送するんですよね。

QUIM:
当時はよく分からないまま帰国して、ともかく日本のことも世界のことも知らなければと思っていた。そこで、この本があったわけです。まさに「世界と日本の見方」だった。

小倉:
この本を、読むべくして出会ったのね。

QUIM:
しかも、すごく面白かった。松岡さんは「編集」をやっていて、編集学校もある。「これは行かなければ」と思いました。だから、この本は、いまの自分の人生に関わる、ものすごく重要な一冊です。

小倉:
QUIMくんにとっては、この本が入り口だったんですね。

QUIM:
そうなんです。

●ルネサンスの利休 バロックの織部ーー世界をおもしろく発見する方法

QUIM:
本の話に戻ると、第4講に日本の話があり、第5講でヨーロッパと日本をつなげます。ヨーロッパでは、「ルネサンス」と「バロック」が取り上げられています。どちらも美術様式の名前として有名ですよね。

小倉:
バロックならカラヴァッジョ、ルネサンスならミケランジェロとか。

QUIM:
えっと、レオナルド・デカプリオではなく(笑)、レオナルド・ダ・ヴィンチとかね。

小倉:
デカプリオになっちゃった(笑)。

QUIM:
このときの松岡さんの表現が、「ルネサンスの利休、バロックの織部」なんです。この捉え方がすごい。先ほどの「宗教編集」もそうですが、世界をこう捉えると、こんなに面白く理解できるんだ、ということが衝撃でした。

小倉:
その見方が正解かどうか、という問題ではないんですよね。

松岡さんがあとがきでも強調しているのは、とにかく「関係を発見してほしい」ということです。「イスラム教とはこういうものです」「ルネサンスとはこういうものです」「バロックとはこういうものです」という既存の説明を、ただ受け取るのではない。

松岡さんのように、「ルネサンスは、日本でいえば利休だね」「バロックは織部だね」と見てみる。それが合っているかどうかではなく、自分なりの見方を出す。物事が持つ特徴をざっくり抽出し、最初に輪郭をつかむことが大事なんだと思います。すべてを緻密に理解しようとしても、限界がありますから。

QUIM:
勉強というと、「こういうことがありました。覚えてください」となりがちです。でも、それでは何も面白くない。名前はカタカナで、似たようなものも多い。

ところが、見方を少し変えるだけで、こんなに面白くなる。若いころのエネルギーや好奇心、自分が受け取ってきたものと一緒にこの本を読んだので、「すごい」と思いました。

もともと本は読んでいたけれど、それほど多読するタイプではありませんでした。でも、何か一つ見つけると、ザーッと全部読みたくなる。松岡正剛の本も、一度全部読んでみようと思って、よく分からないながら読んでいました。

次に読んだのが、いまは売られていない『誰も知らない 世界と日本のまちがい――自由と国家と資本主義』です。同じ春秋社から出ていて、『17歳のための世界と日本の見方』の姉妹本でした。

小倉:
私も家にある気がします。古本で買ったかもしれません。

QUIM:
僕の本は、マーキングの意味がないぐらい線だらけです。

この本は、読んでいても分かるようで分からない。でも、僕がいちばん知りたかった、現代史に近いところが書かれていました。「なぜサダム・フセインは死ななければならなかったのか」。サダム・フセイン自身がひどいことをした人物である一方、アメリカが攻め込んで処刑へ至ったことはどうなのか。それも含めて、松岡さんはいろいろなことを書いています。

●コピーライティングの教科書として読むーー「17歳の精神」「宗教編集」「ルネサンスの利休」

QUIM:
まず、この2冊がありました。その後、時代が変わり、スマートフォンなども出てきたなかで、『誰も知らない 世界と日本のまちがい』が、新たに2冊の本へと改められました。

小倉:
東巻と西巻に分かれています。

QUIM:
題名は『18歳から考える 国家と「私」の行方――セイゴオ先生が語る歴史的現在』です。年齢が一つ上がりました。こちらは少し高度な感じがしますよね。

小倉:
内容も高度で、比較的「歴史の本」らしい書きぶりになっています。でも、こちらのほうが好みで、入りやすいという人もいるかもしれません。

『18歳から考える 国家と「私」の行方』が社会科の授業に近いとすれば、アナロジーや類推が強く働いているのが『17歳のための世界と日本の見方』です。QUIMくんが、この本にその年齢で衝撃を受けたというのは、すごい感性だったと思います。

QUIM:
でも、17歳ではなかったんですよね。20歳ぐらいだったかな。

松岡さんは、この本の最後に「17歳の精神」について書いています。「誰にでも17歳のときはあった。その17歳の精神を取り戻してほしい」という思いがあって、少し泣けてくる。

小倉:
「17歳のとき、何もしていなかったな」ということも含めてね。

QUIM:
小倉さんが別の収録で話していた、「青年期に戻る」という話にも少しつながります。

小倉:
東畑開人さんが、中年を乗り越える方法の一つとして「青春期に戻る」とおっしゃっていましたね。

QUIM:
自分が何かに夢中になったころに戻る。学びは本来、好奇心へ向かい、どんどん吸収していく、楽しいものだと思います。でも17歳ごろは、どうしても受験勉強になる。大学に入るための訓練も一つの方法ではあるけれど、それだけではない何かが、本当はその時期にあったらよかった。

そして、松岡さんのコピーライティングのような言葉のセンス。「ルネサンスの利休、バロックの織部」「17歳の精神」「宗教編集」。この人はやはりすごい、という印象を持ちました。

小倉:
キャッチコピーが鋭いですよね。それがトリガーになって、見えるものがある。

ルネサンスやバロックも、世界史で何となく習っただけでした。「ルネサンスは昔に戻ろうというものだったっけ」という程度で、二つを対比して観察しようとは思っていなかった。歴史的に並んでいるだけで、文化としてどう違うかを考えていなかったかもしれません。

QUIM:
「編集」を語るために、編集そのものをものすごく使っている。この感じが、僕はすごく好きなんです。前回取り上げた、いとうせいこうさんにも、そういうところがあります。

この3冊は、三姉妹、あるいは三兄弟のような本として、ぜひ読んでいただきたいです。

●「人殺し(1564)、いろいろ(1616)」の時代ーーシェイクスピア、ガリレオ、ミケランジェロ

QUIM:
『17歳のための世界と日本の見方』は、ルネサンスとバロックで終わります。世界史全体から見ると、明らかに近現代史が入っていません。『18歳から考える 国家と「私」の行方』は、その後から始まるんです。

『17歳のための世界と日本の見方』の最後には、シェイクスピアが出てきます。『18歳から考える 国家と「私」の行方』も、イギリスから始まる。シェイクスピアが一人入ると、歴史の変化がとても見えやすくなります。

「ハムネット」の回でも話しましたが、シェイクスピアは1564年に生まれ、1616年に亡くなっています。「人殺し(1564)、いろいろ(1616)」と覚えるんです。ガリレオも同じ1564年に生まれています。

小倉:
本当に、いろいろなものが発展する時期ですね。

QUIM:
しかも、ミケランジェロも1564年に亡くなっています。ルネサンスの芸術家という印象がありますが、最晩年にはマニエリスムへつながるような表現が見られます。

弟子のヴァザーリは、「マニエリスム」の語源となった「マニエラ」、つまり「方法」を重視しました。ルネサンスで天才たちがすでにやりきってしまったあと、何をしていくのか。漫画でいえば、手塚治虫や水木しげるがやりきったあと、「もうテーマはない。方法で何とかできるか」と考えるような、重要な時期です。

ミケランジェロが亡くなった年にシェイクスピアが生まれたことも、一つの転換点です。ルネサンスからバロックへの変化が始まっていた。ガリレオは望遠鏡を使って観測し、地動説を唱えます。

小倉:
命がけでね。

QUIM:
最後には「自分が間違っている」と認めさせられ、幽閉されますが、最後まで記録を取り続けます。

ガリレオと交流があったケプラーは、ドイツにいました。ケプラーの法則で知られる人物です。その師匠がティコ・ブラーエで、ケプラーは、ティコ・ブラーエの観測データを使いました。

ケプラー自身もキリスト教的な世界観のなかで、真円という調和的な世界を信じていた。でも、どうやら楕円でなければ計算が合わない。ケプラーは「惑星の音楽」のような調和も考えていました。でも、楕円でなければ計算が合わない。ショックを受けながら、楕円を認めていく。この楕円が、まさにバロックを表すような形です。織部焼も、すごく歪んでいる。

小倉:
一方、利休の茶碗は端正です。

QUIM:
調和的なものから、「世界は、それほどキリスト教的に調和しているわけではない」と見えてくる。同じころに生きたシェイクスピア、ガリレオ、ケプラーが、そこからつながってきます。

『ドン・キホーテ』のセルバンテスは、シェイクスピアと同じ1616年に亡くなっています。家康も1616年に亡くなった。年号だけで覚えるのではなく、人で覚えると、いろいろな人物がつながってくる。「シェイクスピアが亡くなったころ、家康も亡くなり、江戸時代が幕を開けた」と見られるわけです。

●歴史の見方と医学の方法ーーカルテにはたくさんの「歴」がある

小倉:
私は今年度、しんしん(發知詩織)と一緒に、MEdit授業で歴史をテーマにした授業を展開しています。

松岡さんは、歴史を縦糸と横糸で見ようとよく言います。縦糸は時系列です。「あれがあったから、これがあった」と、時間でつながっていく。

横糸は、同じ時代に、ジャンルの異なる何が発展したのかを見ることです。先ほどのケプラーやガリレオのように、同時代にいた人物や出来事を見る。それらは、お互いに必ず関係し合っている。さらに斜めの関係もある。その編み目を見つけることが、歴史を見る面白さです。

なぜ、医学の出張授業でわざわざ歴史の話をするのか。それは、医師が診療するうえで、病歴がとても重要だからです。

松岡さんの本は「世界と日本の見方」ですが、「患者さんの見方」という意味でも、歴史的な見方や関係性を発見する方法には共通点があります。この本を読んだ当時から、「松岡さんは、私の仕事にも重要なことを言っている」と感じていました。

医学には、この見方が足りないのではないか。歴史の見方という観点から医学を捉え直し、自分の医療の仕事のプロセスを見直すこともできるのではないかと思います。

考えてみると、カルテには「歴」がたくさん出てきます。現病歴、既往歴、家族歴。時系列で書く一方、同じ時期のさまざまな検査データを横に並べて見る。

それを意識すると、患者さんや患者さんのデータの見方も変わってきます。「医学と歴史は違う」と切り離してしまえば、その発見は生まれません。まったく同じではないけれど、方法としては似ている。松岡さんの、類比から入って物事を分析する方法が、いまの仕事の仕方にもつながっている気がします。

QUIM:
松岡さんには、「人を見る」「人を面白がる」という視点もあります。宗教の説明でも、イエスを詳しく解説し、そこにパウロが登場して、「編集者パウロ」として描かれる。ブッダの話も出てきます。

歴史に名を残した才能のある人たち、それぞれの個人に注目している。

『18歳から考える 国家と「私」の行方』の最後には、僕も好きな宮崎滔天が出てきます。アジア主義者で、中国では非常に尊敬されているけれど、日本ではほとんど知られていない人物です。

松岡さんは、本を読むことは人と交流すること、交際することだとも言っています。医療でも、先ほど漫画『テノゲカ』(小学館)の市原先生と話していたように、人とのコミュニケーションも医療に含まれている。

小倉:
言っていましたね。いま、そういう境地に立っていると。

QUIM:
医療では、症例や病気の前に、すでに「その人」がいる。その人には、縦・横・斜めの歴史がある。それが見えるかどうかで、情報の凹凸というか、浮かび上がり方も変わってきますよね。

小倉:
この3冊には、たくさんの人物が出てきます。でも、「この人は、あれをしました、これをしました」という描き方ではない。その人物がどのように世界を見ていたのかを、きちんと描いています。

重要人物だから登場させているだけではなく、松岡さんがその人物に入り込み、その人から見た当時の世界を描写している。それが面白いんです。

●フェルメールの光の表現と顕微鏡――医学とアートがつながる

小倉:
ルネサンスからバロックへ移る時代は、いろいろなものの転換期です。私は「編み目で歴史を見る」一例として、経済産業省「未来の教室」の教材でも、この時代を取り上げました。医学的にも転換期なので、いつも例に挙げています。

シェイクスピアが活躍していた1590年ごろに、顕微鏡が発明されています。シェイクスピアが生まれた1564年の、およそ100年前には、グーテンベルクの活版印刷革命がありました。

QUIM:
活版印刷は、ものすごく大きな出来事ですよね。宗教改革も、それによって起きますから。

小倉:
戯曲などの文化が一気に広がった背景にも、活版印刷がある。芸術にも大きく関係しています。

活版印刷革命は、文化的、科学的な転換点として、一般にどのくらい大きなものと捉えられているんでしょうね。

QUIM:
僕も学校的な世界史をそれほど知らないので、どの程度大きなものとして教えられているのか分かりません。

小倉:
授業では、さらっと扱われますよね。でも、医療にとっても大きな出来事です。識字率が上がり、いろいろなものが発展する。文字を読む人が増えるなかで、老眼や視力の問題が意識され、眼鏡が広がっていった。その技術から顕微鏡が生まれました。

QUIM:
眼鏡が生まれたのは、イタリアでしたか。

小倉:
そう。眼鏡がイタリアで流行し、その技術から顕微鏡が生まれ、それがオランダへ伝わって、ヤンセン親子やレーフェンフックが出てきます。

QUIM:
レーフェンフックとフェルメールは、同じ都市に生まれています。しかも、フェルメールの師匠が、レンブラントの一番弟子であるカレル・ファブリティウスでしょう。

レンブラントはカラヴァッジョの影響を受け、カラヴァッジョはバロックです。そうやって見ていくと、「この時代に、こういう人たちが生きていたんだ」と分かります。

「カラヴァッジョ展」へ行くと、カラヴァッジョを点で見てしまう。でも、その前後や斜めの流れのなかには、人間の歴史があります。レンズがオランダへ入り、独自の発展を遂げたこと。光学とフェルメールの光の表現に確実な関係があるとは言えないけれど、編集的な捉え方をすれば、面白くつながります。

小倉:
フェルメールには、光の描写がありますからね。実物を見ると、絵が思ったより小さいことにも驚きます。

●ゴシップからナショナリズムへーーシェイクスピア別人説とヘンリー8世離婚問題

QUIM:
シェイクスピアについては、「フランシス・ベーコンがシェイクスピアだったのではないか」という説もあります。

小倉:
髪型や顔も似ていますからね。

QUIM:
「一人で、あれほど多様な作品を書けないだろう」という話もある。シェイクスピアを取り巻く人物や、その時代に起きていたことを見るのも面白い。

重要なのは、活版印刷、宗教改革、大航海時代があったことです。宗教改革の影響を、イギリスはまともに受けています。

シェイクスピアはエリザベス朝を生きました。その前にはメアリー1世がいて、その父親がヘンリー8世です。ヘンリー8世は離婚を理由に、イングランド国教会をつくった。この本にも書かれています。

小倉:
離婚したいがためにね。

QUIM:
カトリックでは離婚が認められなかった。そういうゴシップのような話から、新しい教会がつくられた。しかも、それがイギリスという国の教会なので、近代的な国家やナショナリズムにも影響していく。

さらに、メイフラワー号などでイギリスからアメリカへ渡った人々が、現在のアメリカにつながる国をつくっていく。そこで起きていたことが、近代を準備していたように感じます。そのうねりのなかにシェイクスピアもいた。そういう見方ができます。

●アブダクションでいこうーー陰謀論と考察ブームと編集力

小倉:
歴史学者になるなら別だと思いますが、まずは面白がって見ることが大事です。そこで思いがけない発見がある。あとから、いくらでも修正できます。

QUIM:
いったん「そうかもしれない」と仮説を立てる。いわゆるアブダクションですね。

小倉:
アブダクションは、思いつきで終わったらアブダクションではありません。まず仮説形成があり、そのあとに、レトロダクションではないけれど、振り返って検証していくプロセスが必要です。話が飛びますが、最近、日本の研究力が落ちていると言われています。

大学のランキングも下がり、研究力が落ちている。いまは円安もあるので、それに拍車をかけている気がします。でも、そもそも日本人の学び方が、正解にあまりにもとらわれて、硬直化しているのではないか。仮説形成が、すごく苦手なのではないかと思います。

仮説を立てた瞬間に、「これは正しいのか、間違っているのか」と考えてしまう。三宅香帆さんも『考察する若者たち』という本を書いています。例えば作品があったとき、すぐに「作者はこう思っている」と考察する。それは、正解を探しにいく思考だと言っています。

でも、本当は自由に物語を鑑賞できるはずで、作者の意向はどうでもいいはずだった。それなのに、正解を求めにいく。

QUIM:
一方で、ドラマの解釈なら仮説はいくらでもつくれます。「彼女がはいていた赤いスカートには、こういう意味がある」と、絶対そこまで考えていないだろうという話まで膨らませて、考察することもある。

小倉:
あります。結局、陰謀論にも同じところがあって、「自分だけが見つけた」という快感になってしまう。「こうかもしれない」という仮説形成が、単なる思いつきで終わっていて、アブダクションになっていない。

QUIM:
両方ありますよね。自分なりの、よく分からない理由づけをする方向と、逆に正解をものすごく気にする方向です。SNSでは、「これは違う」「そんなことを言うのは馬鹿だ」と激しく攻撃することもある。

学び方には、二つのレイヤーがある気がします。一つは、極端なほど物語化して、仮説を立ててみること。いま話したように、「これとこれには、こういうつながりがある」と考える。それが危ない方向へ行けば、陰謀論になり得ます。

もう一つは、細部を歴史学的に検証することです。「フェルメールとレーフェンフックに、そんな関係はありません」と言われたら、それはそれで認める。その両方が必要です。

小倉:
両方あると思います。アナロジカルな側面、アブダクションや仮説形成の側面では、まず「合っていないかもしれないけれど、こうかな」と、ふわっと仮説を立てる。一方で、ロジックを鍛えることも、とても大事です。

ただ、学校の勉強で正解だけを求めていても、ロジックが育つわけではない気がします。仮説を立てたら、必ずロジックで検証しなければいけない。

研究もそうですよね。「この疾患は、これが原因かもしれない」という仮説を立てたら、そのあとは徹底的にロジックで検証しなければいけない。

QUIM:
医療の「見立て」も、「何かに似ている」というところから入ります。でも、似ているというだけで進んだら、おかしなことになる。

小倉:
似ているというだけで診断したら、ものすごく危険です。そこから科学へ進まなければいけない。

ただ、最初から正解を求めるのも危険です。妄想とは反対の、思い込みのようなものです。ロジックだけで進もうとすると限界があり、見えなくなってしまう。

QUIM:
「編集」は、そこのセンスですよね。どちらか一方へ行かずに、面白がる。

小倉:
宙ぶらりんな状態にいる。この間、ネガティブ・ケイパビリティの話をしましたが、答えのない状態に耐える力が弱いのだと思います。

それに耐えられないと、「これだ」と決めつけ、ロジックだけで進むか、妄想だけで終わるか、両極端になってしまう。答えを決めてしまえば楽ですが、真ん中にいて、検証し続ける力が大事です。

病理診断では、最終診断をカルテへ送るボタンを押した瞬間に、診断を出したことになります。でも、ボタンを押すぎりぎりまで、あらゆる可能性を保てるかどうかが、すごく重要です。

Aだと決めたけれど、本当はB、C、Dかもしれない。その可能性を最後まで残しながら、それでもAでいく。松岡さんは、「編集は高速だ」と言いますよね。

QUIM:
高速、速い。松岡さんは、突飛なアイデアを出す人、企画の人だと思われているかもしれません。もちろん、「なんだ、これは」と驚くようなアイデアを出します。

でも、その手前か奥には、情報やファクトの積み重ねがあります。津田一郎さんのような、数学や理系の世界でも指折りの人たちに信用されているのは、適当なことを言っているだけではないからです。

もちろん、細かい部分で間違うことは誰にでもあります。でも、根底に積み重ねがあることは知っておいてもよいと思います。

小倉:
膨大な読書量と緻密なファクトチェックがあるからこそ、最終的に高速化できる。「ということは、こういうことだ」と、その物事らしさを大きくつかめる。そこは、すごく高速になれるんだと思います。

松岡さんは、それを「編集は高速だ」と言うから、一般の人には最初は分かりにくい。でも、そういうことなのかなと思います。

だから、松岡正剛を知るという意味で、いちばん良質なテキストは『17歳のための世界と日本の見方』だと思います。

●私にとっての「黄色い本」――本はな、ためになるぞぉ〜〜by 実ッコのトーチャン

QUIM:
ちょっと、話がハイブローになりすぎたかな。

小倉:
でも、もう時間ですね。今日は3冊ですか。

QUIM:
最後は少し違う本です。高野文子さんという、僕の大好きな漫画家の『黄色い本――ジャック・チボーという名の友人』です。

小倉:
これ、読んだことがあります。

QUIM:
僕は、この本が大好きなんです。ロジェ・マルタン・デュ・ガールの小説『チボー家の人々』を読む話です。

『黄色い本』の主人公は、田家実地子(たい・みちこ)という高校生です。本を読んでいくうちに、『チボー家の人々』の世界と現実のあいだを揺れ動く。ただ、本を読むということを描いた話なんです。

この本も「黄色い本」でしょう。そして、『17歳のための世界と日本の見方』も、黄色い本なんです。『黄色い本』の最後では、お父さんが「読書は大事だから、たくさん読めよ」「本はな、ためになるぞぉ〜〜」というような話をします。

『黄色い本』の主人公も17歳ぐらいで、僕にとって松岡さんの『17歳のための世界と日本の見方』が「黄色い本」だったのだと思いながら読んでいます。

【三冊筋プレス】黄色い本 セイゴオ・Mという名の先生(金宗代)

小倉:
そういう話なんですね。

QUIM:
この『黄色い本』も、おすすめです。

小倉:
おすすめですね。松岡さんも薦めています。

では最後に、今回取り上げた本を、もう一度紹介しましょう。

最初は、春秋社から出ている松岡正剛さんの『17歳のための世界と日本の見方――セイゴオ先生の人間文化講義』。

もう一つは、全14講が東巻と西巻の2冊組になった『18歳から考える 国家と「私」の行方――セイゴオ先生が語る歴史的現在』です。

そして、高野文子さんの『黄色い本――ジャック・チボーという名の友人』。今日は松岡正剛回でした。

QUIM:
松岡正剛回でした。

小倉:
松岡さんの話をすると、やっぱり熱くなりますね。

QUIM:
そうですね。毎年1冊、取り上げる感じで。

小倉:
今日は3冊でしたよ。次も3、4冊で。ありがとうございました。

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投稿者プロフィール

QUIM
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メディアのプロとして、立ち上げから今日に至るまでMEdit Labの運営を
全面的にサポートしてくれているSaiQuicのエディター。20代から伝説の編集者、故・松岡正剛にその才能を見出され、数々の松岡プロジェクトに参加してきた。大学時代は勅使川原三郎ゼミに所属し、ダンサーやモデルや役者もできちゃうマルチタレント。