おしゃべり病理医のMEditラジオ
MEditLabのポッドキャスト番組「てゆーか医学」の第17回放送は、「ゆるっとMEdit」、通称「ゆるメディ」をお届けします。
今回取り上げるのは、シェイクスピアの息子ハムネットの死と、名作『ハムレット』誕生の背景を描いた映画・小説『ハムネット』です。
クロエ・ジャオ監督による映画版を見て、劇場で「ここ数年でいちばん泣いた」というQUIM。子どもを失った家族の究極的な悲しみは、なぜ400年以上読み継がれてきた『ハムレット』という物語へとつながっていったのか。マギー・オファーレルによる原作と映画を行き来しながら、その物語の力を語ります。
そして話題は、シェイクスピアの創作力の秘密とされる「ネガティブ・ケイパビリティ」へ。答えの出ない事態を、すぐに解決しようとせず、不確実なまま抱え続ける力とは何か。精神医療や会議、日々の意思決定にもつながる考え方を、小倉加奈子とQUIMが掘り下げます。
おしゃべりの内容は、
・死ぬほど泣いてしまった映画『ハムネット』
・シェイクスピアの息子“ハムネット”と戯曲『ハムレット』
・「子を失う」という究極の悲しみ
・ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力
などなど。
『ライオン・キング』や『ウエスト・サイド・ストーリー』をはじめ、現代の映画、演劇、文学にも姿を変えて生き続けるシェイクスピア作品。難解な古典として遠ざけるのではなく、『ハムネット』を入口にすると、人物の悲しみや迷いがぐっと身近に感じられます。
答えが出ないまま立ち止まること。古い物語を別の視点から語り直すこと。そして、自分にとって忘れられない一冊、一作と出会うこと。
シェイクスピア入門からネガティブ・ケイパビリティ、映画の魅力、古典を読み継ぐ意味まで、縦横無尽に話が広がる回になりました。
それでは、ごゆるりとお楽しみください。
▼その他配信先
・Apple Podcasts:https://x.gd/LUfXT
・Amazon Music:https://x.gd/IArL6
・YouTube:https://youtu.be/LugicabIrXs
▼チャプター
・死ぬほど泣いてしまった映画『ハムネット』
・シェイクスピアの息子“ハムネット”と戯曲『ハムレット』
・「子を失う」という究極の悲しみ
・ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力
・『ほんとうの会議』 ネガティブ・ケイパビリティ実践法
・「生きるべきか、死ぬべきか(To be, or not to be)」から「あるがままに(let be)」へ
・映画は2時間くらいで「必ず終わる」 当たり前だけど、そこがすごい!
・おすすめのシェイクスピア入門ブック
・シェイクスピアは歴史にも効く 「人殺し、いろいろ」と覚えよう
・演劇と歌舞伎とオペラ、そしてドラァグクイーン
・なぜ、本を読み、映画を見るのか 「読機」と「本歌取り」
▼全文公開
●死ぬほど泣いてしまった映画『ハムネット』
QUIM:
順天堂大学STEAM教育研究会、MEdit Labがお届けするPodcast番組「てゆーか医学」、今回も始まります。私、QUIMと。
小倉:
病理の小倉加奈子です。よろしくお願いします。
QUIM:
お願いします。
今日も「ゆるっとMEdit」、ゆるメディということで、ゆるっと本や映画やゲームの話をしていきます。『ハムネット』という作品を紹介したいと思っています。
小倉:
映画と書籍ですね。
QUIM:
そうですね。僕は映画を先に見たんですけど、そもそもものすごく注目された映画なんですよね。ゴールデングローブ賞でドラマ映画賞とドラマ映画主演女優賞を受賞して、アカデミー賞では8部門で候補に挙がりました。主演のジェシー・バックリーさんは主演女優賞を受賞しています。
クロエ・ジャオ監督も、2021年の『ノマドランド』で注目された監督です。北京出身で、その後ロンドンやロサンゼルスに移り、ニューヨークで映画制作を学んでいます。『ノマドランド』では、アジア人女性として初めてゴールデングローブ賞の監督賞を受賞し、アカデミー賞でも非白人女性として初めて監督賞を受賞しました。
僕は、クロエ・ジャオ監督が撮ったから見に行こう、ぐらいの感じだったんです。映画が好きで、クロエ・ジャオ監督のことも少し知っていたので、ちょっと油断していたところもあったんですけど、死ぬほど泣いてしまって。ここ数年でいちばん泣いたんじゃないかというぐらい、劇場で号泣しました。
小倉:
それは、ずっと泣いていたんですか?
QUIM:
真ん中ぐらいから終盤にかけてですね。
小倉:
これは、シェイクスピア自身の物語なんですよね。
QUIM:
そうなんです。『ハムレット』という戯曲が、どうして作られたのかを物語にしています。
●シェイクスピアの息子”ハムネット”と戯曲「ハムレット」
QUIM:
ただし、この話が完全に事実かどうかはわかりません。シェイクスピアには、「失われた年月」と呼ばれる空白の期間があるんですね。
そして、ハムネットというのは、シェイクスピアの息子の名前です。その息子が亡くなって、4年後に『ハムレット』という戯曲が作られています。
ただし、その二つが本当に関係しているのかはわからない。そこは謎なんです。
原作を書いたのは、マギー・オファーレル。新潮クレスト・ブックスから出ています。新潮社の翻訳文学のシリーズで、いつも装丁がすてきで、素晴らしい翻訳作品がたくさん出ているんですけど、『ハムネット』も全米批評家協会賞などを受賞しています。
西加奈子さんの『くもをさがす』(河出書房新社)にも、この本が出てきますよね。
小倉:
そうそう。引用されていたと思います。
#009 “がん”は不幸? 人生を賭けて紡がれた、爆スゴ刺さりまくる言葉たち――映画化&文庫化の話題作『急に具合が悪くなる』『くもをさがす』【ゆるメディ】
QUIM:
オファーレルさんは、中学生ぐらいのときに先生から、シェイクスピアにはハムネットという息子がいて、その息子が亡くなったという話を聞いたそうです。それがずっと印象に残っていた。
そこで、シェイクスピアの空白の年月を物語にしようとして作った作品なんですね。
小倉:
QUIMさんは、映画を見てから書籍を読んだんでしたっけ?
QUIM:
そうですね。原作があることすら自体、全然知らなかったんです。
小倉:
クロエ・ジャオさんが監督しているから見に行こうと思って、見に行ったら号泣してしまった。それで気になって原作も読んだという感じですね。
QUIM:
そうですね。原作も映画も素晴らしかったです。
ただ、泣けるから素晴らしいと言いたいわけではないんです。泣ける作品が素晴らしい作品だと思っているわけではなくて、物語そのものの力に、ものすごく揺さぶられたという感じでした。
●「子を失う」という究極の悲しみ
小倉:
なぜ、そんなに号泣したんでしょう。ネタバレになりすぎない範囲で。
QUIM:
これは映画の紹介にも載っていると思うので、そこまでは話していいと思うんですけど、やっぱり息子が亡くなるんですよね。まだ小さいうちに。それを受け止めなければいけない。シェイクスピアと、その妻のアン・ハサウェイ。今話題の『プラダを着た悪魔』の女優さんもお名前もアン・ハサウェイなので、ちょっとややこしいんですけど、もちろん関係はありません。
夫婦の葛藤もうまく描かれていたんでしょうね。物語自体は、ある意味ではシンプルなんです。最近の映画は、映画館に人を呼ぶために、いろいろな仕掛けや、時には過激とも言える工夫をします。もちろん、この作品も映画館で見たほうが絶対にいいんですけど、物語そのものはわかりやすい。
アン・ハサウェイとシェイクスピアが出会って、結婚して、子どもが生まれて、その子どもが亡くなり、それが『ハムレット』という戯曲につながっていく。僕自身が、そういう物語に敏感になりやすいのかもしれないですけど、物語の力に圧倒されました。
最近、是枝裕和監督の『箱の中の羊』という映画がありましたよね。大悟さんと綾瀬はるかさんが出演している映画です。あの作品も、子どもが亡くなっているところから始まって、AIのロボットの子どもを迎えることで物語が始まります。
子どもが亡くなるというのは、やっぱり究極的な悲しみなのかなと思います。そういうことを描いている映画が確かに多くなっている。
『ハムネット』では、ハムネットが亡くなって、そこから家族がどうにか回復していかなければならない。アン・ハサウェイは相当な悲しみを抱えます。一方で、シェイクスピア自身は、息子が亡くなったときにその場にいなかった。「あなたはいなかったじゃない」という思いもあって、夫婦の仲も冷え込んでいきます。
そして妻は、家族をストラトフォードに残してロンドンにいる夫が、『ハムレット』という戯曲を作っていることを知る。「いったい、何のつもりなの?」と思うわけです。でも、実際に『ハムレット』を見に行くと……という映画です。
なぜあれほど泣いたのかは、まだうまく説明できません。お子さんがいる人だったら、かなり心を動かされるんじゃないかと思います。繰り返しになりますが、「泣ける映画」がいいということではないですけど、今年の上半期で、いちばん泣いてしまった映画でした。
小倉:
原作の印象はどうでした?
QUIM:
『ハムネット』に関しては、映画を見てから原作を読んでも、原作を読んでから映画を見ても、どちらでもいいと思います。驚くような展開が次々に起きる作品ではないですし、どういう話なのかは、ある程度わかっていますから。
ただ、原作は最初は、もしかしたら少し入りにくいかもしれません。いろいろな話が細切れに差し込まれてくるんです。息子の視点だったり、アン・ハサウェイの話だったり、いろいろな物語が入れ子になっている。最初は少しわかりにくさがあるんですけど、それに慣れると、すごくよくなってきます。
映画と原作は、どちらかを見てしまうと、もう片方は駄目だなと思うことも結構あります。でも、『ハムネット』に関しては、原作には原作の詩的に書かれた部分があって、どちらもいいと思いました。
小倉:
原作があって映画がある作品って、どちらから見ようか、いつも迷います。『国宝』も、私は映画を先に見たんですよ。原作は上下巻なので、映画には取り入れられていないエピソードが、原作にはたくさんあるんだろうなというのは、厚みを見ればわかるんですけど。
難しいときがありますよね。
●ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力
QUIM:
『ハムネット』を読んだときに思い出したのが、ネガティブ・ケイパビリティです。『ハムレット』は、「生きるべきか、死ぬべきか」で有名な戯曲ですよね。
ネガティブ・ケイパビリティという言葉は、「てゆーか医学」で何度か出してきたかもしれません。帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版)という本があります。
小倉:
「答えの出ない事態に耐える力」が副題ですね。
QUIM:
そうそう。以前、この番組で取り上げた『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』の著者、谷川嘉浩さんも、ネガティブ・ケイパビリティについての本を出しています。
谷川嘉浩さん、朱喜哲さん、杉谷和哉さんの『増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』(ちくま文庫)です。ちくま文庫になっていて、解説は三宅香帆さんです。
小倉:
文庫になっているんだ。私は、文庫になる前の本を積ん読しているかもしれない。読もうと思って、家にあります。
QUIM:
帚木さんが本を出したころは、まだそこまで話題になっていなかったと思うんですけど、いま「ネガティブ・ケイパビリティ」と調べると、何冊も本が出てきます。それぐらい注目されている言葉なんですよね。
ネガティブ・ケイパビリティという言葉は、イギリスの詩人ジョン・キーツが、シェイクスピアの創作力の秘密として提唱したものです。キーツはシェイクスピアをものすごく尊敬していて、すぐに答えを出さず、不確実な状態にとどまり続ける力が、シェイクスピアにはあると考えた。
だから、『ハムネット』を読むと、その話にも合点がいく感じがするんです。ネガティブ・ケイパビリティとは、すぐに答えや解決を求めず、答えの出ない、対処のしようのない事態や、不確実な状況の中にとどまり続ける能力です。
焦燥感に駆られず、不確実さを受容し、創造性を発揮するための消極的能力なんですね。その逆を、ポジティブ・ケイパビリティと呼ぶことがあります。問題を解決しようとする力や、AIに何でも聞いてみようとすること、タイパやコスパを求めることは、どちらかといえばポジティブ・ケイパビリティです。
一方で、答えが見つからない中で悩み、とどまり続ける力が、ネガティブ・ケイパビリティなんですよね。
●ほんとうの会議 ネガティブ・ケイパビリティ実践法
小倉:
帚木蓬生さんは精神科医でもいらっしゃって、薬物依存症やギャンブル依存症の方の治療にも携わっていると思います。
私は去年、『ほんとうの会議 ネガティブ・ケイパビリティ実践法』(講談社現代新書)という帚木さんの本を読んだんです。まさに、ネガティブ・ケイパビリティを実際にどう使うのか、会議の中でどう実践するのかが書かれていました。
依存症の人たちがグループで集まって、自助活動をする。たとえば、アルコール依存症の人には、断酒をどうするかという問題があります。本人も、やめたいとは思っているわけですよね。
でも、すぐに答えを出したり、正しい行動を押しつけたりするのではなく、ありのままの自分で参加する。ちょっと内容を深く覚えていないんですけど、実践法について帚木さんがかなり細かく解説していて、ライフワークになっているんじゃないかと思いました。精神科領域というのは、ネガティブ・ケイパビリティ的でないと難しい部分があるのかなと思います。
私は専門ではないですけど、認知行動療法のように、問題を解決するために、どう行動すればいいかを考える療法もあります。でも、そんなにうまくはいかないわけです。うまくいかなかったときの対処法を身につけていくことも、すごく大事な気がします。
精神科医の先生方にも、いろいろな立ち位置の方がいますよね。順天堂大学の中でも、精神疾患を脳の病気として捉えて、薬を開発するために、どの神経回路が異常を起こしているのかを解明しようとする、サイエンスからのアプローチがあります。それは、ある意味ではポジティブ・ケイパビリティ的だと思いますし、もちろん必要なアプローチです。
でも、それですべてが解決するわけではない。患者さんが24時間を過ごし、日々悩んでいる中で、お薬がすべてを解決してくれるわけではありません。本人のことだけではなく、家族や仕事、さまざまな環境因子に対応するためには、ネガティブ・ケイパビリティ的な手法も絶対に必要だということですよね。
QUIM:
どこまでを解決して、どこからを抱えるのか。その分け方が難しいですよね。外科的な問題なら、ここを治せばよくなるということもある。治せるものを、ただ耐えていればいいという話でもない。
小倉:
そうだよね。東畑開人さんも、まずは安心して生活できる状態を整えることが必要だという話をしていたと思います。短いスパンでしか未来を考えられない状態だと、心も不安定になります。まずは、数か月安心して暮らせる状態をつくることが必要な場合もありますよね。
QUIM:
誰でも無意識に、そういう判断をしているんだと思います。ここは解決したほうがいいとか、ここはすぐには解決できないとか。でも、どうしても解決したくなるじゃないですか。そこが難しい。
それでも、答えが出ない状態にとどまることが大事なんだろうなと思います。これだけ関連する本が出ているということは、多くの人が必要性を感じているんでしょうね。ネガティブ・ケイパビリティは、これから大きなキーワードになるんじゃないかという感じがします。
小倉:
でも、シェイクスピアの話って、だいたいネガティブ・ケイパビリティが破綻する話ですよね。ジレンマに陥って、どうしようもないダブルバインドのような状態になって、悲劇が起きる。しかも、どんどん悪化していく。『ハムレット』なんて、最たるものだと思います。
●「生きるべきか、死ぬべきか(To be, or not to be)」から「あるがままに(let be)」へ
QUIM:
『ハムレット』には、いろいろな入門書があります。『100分de名著』にも『ハムレット』の回がありますよ(『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ』NHK出版)。「100分de名著」は、NHKで伊集院光さんが司会をしている番組です。毎回テキストが出ていて、ときどき別冊にもなります。入門として読むには、すごく入りやすいシリーズなのでおすすめです。
『ハムレット』の講師は、河合祥一郎さんです。角川文庫から『新訳 ハムレット』を出しています。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という訳もありますけど、翻訳は本当にいろいろあります。松岡和子さんの訳もありますよね。
河合さんが話していたのは、ハムレットが「To be, or not to be」から、だんだん「let be」、つまり「あるがままに」という境地に変わっていくということです。
逡巡しながらも、復讐だけではなく、許しや受容へと変わっていく物語として読める。
『ハムレット』は、シェイクスピアの四大悲劇の中でも、最初に書かれた作品です。『ハムネット』を読んでから『ハムレット』を読むと、その物語がより入ってきやすくなるんです。
もちろん、『ハムネット』に描かれた話が本当にあったかどうかはわかりません。それでも、こういう背景があったのかもしれないと思いながら読むと、作品の見え方が変わります。
小倉:
QUIMくんは、映画と本を行ったり来たりすることが結構多いの? 私は本当に映画を見ないので。
QUIM:
そんなに多くはないですけど、気になったものは読みますね。あと、パンフレットは、映画館に行ったときは必ず買います。
小倉:
私も、わりとパンフレットが好きで買っちゃう。制作ノートみたいなものが書いてあるじゃないですか。
QUIM:
そうそう。
小倉:
バレエのパンフレットも結構買います。作品の物語や初演について書いてあったり、どういう気持ちで作品を作ったのかが載っていたりします。衣装や美術についての制作秘話もありますよね。
QUIM:
そうなんですよね。パンフレットを読むと、作品のことがよりわかります。
●映画は2時間くらいで「必ず終わる」 当たり前だけど、そこがすごい!
QUIM:
本は、すごくコスパがいいと言われますよね。いつでも読めるし、得られる情報量に対して値段も安い。映画も、いまは料金が上がってきていますけど、必ず終わるじゃないですか。当たり前ですけど。だいたい2時間で。
これって、すごいと思うんですよ。本は2時間では終わらない。でも映画は、誰が見ても平等に2時間で終わる。どんなコンディションで見ても、終わるんです。
「ついていけなかったな」という場合も含めて、とにかく全部終わる。映画館では、その終わりに向けて、調子が悪くても集中するじゃないですか。
小倉:
でもなんか、QUIMくん、調子悪くても見に行ってそうだもんね。
QUIM:
多少モヤモヤしているときでも、真っ暗な映画館に入って、全く別の世界に現実逃避しながら物語に触れる。それからパンフレットを読む。ちょっとお金はかかりますけど。もし本を読まない人でも、映画はめちゃくちゃおすすめです。
●おすすめのシェイクスピア入門ブック
QUIM:
余談になりますが、『100分de名著』の『ハムレット』でちょっと面白かったのは、「To be, or not to be」過去の翻訳が載っていることです。チャールズ・ワーグマンが1874年ごろに訳したものは、「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」という訳なんですよ。
小倉:
それは何ですか、という感じですね。
QUIM:
全部カタカナで書かれているんです。
その後、「死ぬるが増か、生くるが増か、思案をするはこゝぞかし」といった訳が出てきたり、「生か死か、これが当面の疑問じゃわい」という訳が出てきたりする。翻訳の歴史が20種類ぐらい載っているんです。
いろいろな訳を経て、河合さんの訳にたどり着いた、という流れが見える。もう一冊、小倉さんにも紹介したのが、北村紗衣さんの『「名作」と友達になる 学校では教えてくれないシェイクスピア』です。朝日出版社から出ています。
小倉:
「学校では教えてくれない」と言いながら、学校で教えているんですよね。
QUIM:
そうそう。北村さんが、武蔵中学校や麻布中学校で、生徒たちに授業をしている。
小倉:
全員男の子なのが、また面白いですよね。
QUIM:
ジェンダーやフェミニズムの視点から作品を見ることもやっています。そういえば北村さんの指導教員が、河合祥一郎さんなんですよね。
小倉:
そうなんだ。私は出張授業をすることもあるので、北村さんがどういうワークをしているのか気になりながら読みました。戯曲を書かせたり、どんな設定で、どんな話にするのかを考えさせたりする。後半には、批評文の書き方についての話もありました。
シェイクスピアは、いろいろな作品に翻案されていますよね。たとえば、『ロミオとジュリエット』を、当時のアメリカ社会に置き換えた『ウエスト・サイド・ストーリー』があります。
私は小学生ぐらいのときに、母が生協か何かでDVDを買ってきて、何度も見ました。バレエをやっていたからかもしれないですけど、踊りも歌も出てくるので、すごく面白かったんです。バレエでも『ロミオとジュリエット』はよく上演されるので、曲も物語も知っていました。比べて見ると面白かったですね。
QUIM:
シェイクスピアの翻案は、本当に多いです。『ハムレット』で、いちばんわかりやすいのは『ライオン・キング』ですよね。父親が叔父に殺されて、息子が王位を取り戻そうとする。ほとんどそのままです。
北村紗衣さんは、RHYMESTERの宇多丸さんの『アフター6ジャンクション2』でも、『ハムレット』について話しています。
2026年4月8日の回の「北村紗衣の映画好きに捧げるシェイクスピア入門~ハムレット編~」です。Podcastでも聴けて、すごく面白かったです。
もう一冊、『14歳のためのシェイクスピア』(大和書房)という本もあります。木村龍之介さんという演出家が、演出家の視点から書いた本です。こちらは北村さんの本よりもライトで、入門書として読みやすい。松岡和子さんとの対談も収録されています。
●シェイクスピアは歴史にも効く 「「人殺し、いろいろ」と覚えよう
QUIM:
シェイクスピアは、文学的に重要なだけではなくて、歴史の転換点にいる人なんですよね。僕は、『ハムネット』がシェイクスピアを身体化する読書体験になりました。本を読んでいて、忘れられない体験があるじゃないですか。
歴史も同じで、ひとりの人物やひとつの作品が自分の中に入ると、それを起点にして、どういう時代だったのかを考えられる。ただ歴史を暗記するのではなく、背景ごと入ってくるんです。
シェイクスピアは1564年から1616年に生きた人です。「人殺し、いろいろ」と覚えると忘れない。人殺しをいろいろ書いた人、シェイクスピアです。この時代は本当に激動の時代です。ルネサンスからバロックへと移っていく。
小倉:
その時代、医学では何があったんでしょうね。
QUIM:
顕微鏡が出てきたころですかね。バロックの時代は、ミクロコスモスとマクロコスモスが重なり合う時代でもあります。ヤンセン親子は16世紀なので、ちょうどそのころですね。
小倉:
眼鏡職人のヤンセン親子が顕微鏡を作ったとされる時代です。識字率が上がり、本を読む人が増えて、老眼であることに気づく人も増える。そこから老眼鏡や眼鏡の市場が広がっていく。その技術をベースにして顕微鏡が作られ、近代科学が始まっていくわけです。デカルトはもう少し後ですね。
QUIM:
その前に、フランシス・ベーコンがいます。フランシス・ベーコンは、シェイクスピア本人だったのではないか、という説まである人です。シェイクスピアの正体については、いろいろな人物が候補に挙げられてきました。セルバンテスも『ドン・キホーテ』を書いた時代ですし、ガリレオも同じ時代です。シェイクスピアは、徳川家康やセルバンテスと同じ1616年に亡くなっています。
エリザベス女王の時代で、その後、宗教的迫害を受けたプロテスタントの人々が、ピルグリム・ファーザーズとしてアメリカへ渡っていく。さまざまなことが起きて、世界が分岐していく時代です。今度ぜひ、『17歳からの世界と日本の見方』も取り上げたいですね。
●演劇と歌舞伎とオペラ、そしてドラァグクイーン
QUIM:
この前、ドラァグクイーンの話をしましたけど、シェイクスピア演劇が生まれたころ、日本では歌舞伎も生まれているんですよね。
小倉:
シェイクスピアの劇も、若い男の子が女性役を演じていたんですよね。
QUIM:
そうです。
日本でも出雲阿国が出てきて、その後、女歌舞伎が禁止され、女形が生まれます。シェイクスピアの時代には、少年が女性役を演じていた。同じようなことが、日本でも起きていたんです。オペラでは、カストラートが登場します。
「ドラァグ」という言葉の由来にはいくつかの説がありますが、エリザベス朝の舞台で、男性俳優が女性役を演じるとき、豪華絢爛な長いドレスの裾を床に引きずった、dragしたことに由来するという説もあります。
シェイクスピアは、演劇史やジェンダーの歴史から見ても、面白い人物なんですよね。
●なぜ、本を読み、映画を見るのか 「読機」と「本歌取り」
小倉:
たまに古典に戻ったほうがいいんですかね。
QUIM:
そうですね。最近、翻訳家の鴻巣友季子さんの本を読んだんです。『文学は予言する』や、『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』を書いている方です。最近、「リトールド文学」というものが盛んになっています。retold、つまり古典をもう一度語り直す文学です。
シェイクスピアやホメロスの作品を、現代の視点から語り直す。とくに、男性中心的に語られてきた物語を、フェミニズムの視点から語り直す作品が増えています。もちろん、フェミニズム以外の視点からの語り直しもあります。町田康さんの『口訳 古事記』も、そういう作品ですよね。
小倉:
あれ、おかしいですよね。
QUIM:
神様たちが町田康っぽい独特の口調で喧嘩しているみたいな作品です。装丁もすごく派手です。古典をもう一度語り直す。そこに一つの創造性がある。ゲーム作りも同じですよね。「本歌取り」ではないですけど、まったく新しいものが、何もないところからぱっと浮かぶわけではない。もともとあるものを、どうリアレンジしたら面白くなるのか。
デザインも同じだと思います。文学や映画やゲームには、すでに長い歴史があります。その中で、まったく新しいものを作るのは難しい。でも、ここを変えたらどうなるか。この配役だったらどうなるか。別の人物の視点から見たらどうなるか。ルールを少し変えたらどうなるか。そうすることで、「えっ」と驚くようなものが作られる。
古典文学そのものを読まなくてもいいんですけど、少し古いものを参考にしてみることは、何を作るにしても役に立つと思います。
小倉:
松岡さんが言う「もどき」にもつながりますよね。オリジナリティとは何かという話です。何にでも模倣的な部分があって、むしろ模倣こそが文化を作っているところもあると思います。
QUIM:
そうですね。映画でも本でも、松岡さんがよく言う「読機」というものがあると思います。これを読みたかった、この作品に出会いたかったと思えるものに出会う。衝撃を受ける本や映画に出会うために、読んだり見たりしているところもありますよね。映画『ハムネット』は、僕にとって、そういう作品でした。
小倉:
ありがとうございました。
QUIM:
ありがとうございました。
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投稿者プロフィール

-
メディアのプロとして、立ち上げから今日に至るまでMEdit Labの運営を
全面的にサポートしてくれているSaiQuicのエディター。20代から伝説の編集者、故・松岡正剛にその才能を見出され、数々の松岡プロジェクトに参加してきた。大学時代は勅使川原三郎ゼミに所属し、ダンサーやモデルや役者もできちゃうマルチタレント。
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